

遠縁の親戚が近くの病院に入院したとかで、その日私は病院にいた。
見舞いに行く相手はどうやら私が小さい頃に見知った相手であるらしい。らしいというのは私自身よく覚えていないからだ。話を聞けばそんなこともあったかもしれないと思う程度に記憶している、その程度の話だ。
母の話では私とその相手は仲よく遊ぶこともあったらしく、どうせ暇だろうとせっつかれて見舞いに行くことになったのだ。その人物は私と年が近く、女性のようだった。なんでも買い物帰りに交差点で車にぶつかってしまったらしい。交通事故のけがの治療と検査もかねて入院しているそうだ。母が気を利かせて彼女の写真を送ってくれたが、当然といえば当然でそこにある顔に見覚えはなかった。写真には優しげだがどこか陰りのある表情をした女性が映っていた。改めて彼女の名前を確認し、私は受付カウンターへと向かった。
ひさしぶりだね、元気にしてた?
そんなありふれた挨拶から私たちの会話は始まった。相変わらず私は彼女のことを思い出せなかったので、久しぶりなんだろうかとなんとなく思う。返事をあいまいに濁して、私は見舞いに持ってきた果物を彼女へと差し出した。手に持ったかごの中でリンゴがごろごろと転がる手ごたえがした。彼女は受け取ったかごをそばにあるテーブルの上に置くと、私に近くの椅子へ腰かけるように勧めた。有難く、私はそれに座ることにした。
話をしてみると、どうやら彼女はこのあたりで生活しているみたいだった。私は最近こちらに移動してきたばかりなので、居ると知らなかったのも仕方のない話だろう。そもそも、私たち同士が交流していたわけでもなかったのだ。知りようがなかったということである。
彼女が座っているベッドのそばにはいくつかの花と果物が置かれていて、ほかにも誰かが来た様子がうかがえた。未開封のそれらは若干埃をかぶっているような気もしたが、おそらく気のせいだろう。彼女が入院したのはつい最近の話で、埃が積もるほどこの場にいたとは考えにくい。
彼女は度々昔の話を持ち出した。私が忘れてしまった思い出の話だ。こんなことをして遊んだとか、どういった場所に行ったとか、たわいもない話だ。その多くが聞き覚えのないものだったので相槌に困ることもあったが、たまに記憶に引っかかるような話もあった。そういった話には私が食いつくので、彼女もより詳しく話していた。そうして会話を繰り返すうちに、私は彼女に対して親近感を抱きつつあった。
長く話し込んでいると、彼女の顔色が悪いことに気が付いた。無理をさせてしまったのだろうか。大丈夫かと彼女に尋ねると、彼女は不思議そうにそんな風に見えるのかと私に聞き返してきた。
彼女の顔からは血の気が失せていて、青ざめている。よく見れば目の下にクマが出来ていて、視線が度々合わなくなることが増えていた。どこかふらふらと視線をさまよわせ、身体がゆらゆらと揺れている。慣れない環境で寝不足にでもなっているのだろうか。
改めてそのことを彼女に伝えたが、彼女はそんなことはないと断言した。睡眠は十分にとれていて、むしろ前より調子がいいのだそうだ。あまり尋常ではないその様子に、私はどこか得体の知れなさを感じていた。こんな環境でよく寝れるものだとむしろ感心してしまう。いや、逆にこんな環境だからこそ開放感があって気分が良くなるのだろうか。それにしたってこんな、吹き抜けに対面するかのように伸びる廊下のベッドの上で、良く寝れたものだ。
彼女の部屋に来るまでに見た限りでも、この病院の構造も病人の置かれ方も、すべて変だ。
建物の中心には大きく空間をとった吹き抜けが貫き立っており、その周りを囲うように回廊が続いている。病人はすべてその回廊の上に設置されたベッドに寝かせられており、上の階から下の階を覗き込むと横になっている彼らの姿を見ることが出来る。異質な空間だった。病室なんてものが存在しない、いや、回廊そのものが病室と言わんばかりの光景だ。
私が率直に抱いた感想を彼女に伝えると、彼女はそれに同意して見せた。最初は自身もそう思ったが、これがなかなか気分のいいものらしい。始めは嫌で嫌で仕方がなくずっと布団をかぶっていたそうだが、ここで生活して何日かご飯を食べているうちに楽しくなってきたという。私にはさっぱりわけのわからない話だった。話しているうちに興奮してきたのか、彼女は目を大きく見開いて早口にまくしたてた。見るからに調子の悪そうな女性が鬼気迫るようにしゃべり続けている、そんな光景に私まで気分が悪くなりそうだった。なんともちぐはぐで皮膚の下がむずがゆくなりそうだった。私は別れの挨拶をおざなりに告げると、その場から足早に立ち去っていた。
やはりこの病院はどこか得体が知れなかった。建物内は恐ろしいほどに静かで、人がしゃべるような声も聞こえてこない。そもそも立ち歩いている人間が驚くほどいない。こうして私が彼女の下へと行って戻る間、横たわった病人以外には受付にいた女性しか見ていない。廊下に並べられた彼らを世話する人間が見当たらないのだ。不謹慎にも私はそれが、まるで彼らが死をただそこで待つような存在にしか見えなかった。病人以外で唯一見かけたのは廊下の途中で止め置かれた配膳車だけである。これもそれ単体で放置されているのはわからない話だった。そっと中を覗いてみると、内部にはいくつかの入院食が並んでいた。綺麗に包装されたそれらがこの状況に不似合いで、気味が悪かった。
入るためにくぐった扉を出ると、外の雑然とした騒音がゆっくりと耳に入ってきた。
聞きなれたその音にどこか安堵を抱きつつ、信号を待って道路のそばに立っていると、視界に赤色のランプが明いっぱいに飛び込んできた。
そのあと、どこからかサイレンのような音が鳴り響いて、それっきり私はすべてが低速で再生されるような感覚の中、暗闇を見つめていた。暗闇の向こうで、ついさっき別れたはずの彼女が私に向かって微笑んでいるような、そんな感覚にとらわれた。
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