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第2章 8話​

 

 

 

 

 

 目の前に居る誰かが私へ問う。

「あなたは誰?」

 残念なことに、私はその問いへの答えを持っていない。それは、私にも分からないことだったからだ。

 

 はて、私は一体何なのだろうか。

 

 

 

 一つ、私の話をしようと思う。私は、これを読んでくれている貴方に、私を少しでも理解して欲しいのだ。

 私が綴るこれは、私の物語なのだから。

 

 たった一つの問いへ答えるだけだ。

 そう、考えれば分かることだ。

 答えは必ず存在している。

 私は私を知っている。

 覚えているのは――――そう、最初の感覚は、最初の記憶は、冷たい感触と反響する声だった。

 懐かしい様な感じのする人、それでいて全く知らない様な感じのする人。あの人が私に声をかけてくれた。小さな私に、薄いガラス越しに声をかけてくれた。

「お前は……お前こそが、私の望みなのだ」

 たった一言、そう声をかけてくれた。

 

 ああ、それが私なのだろうか。

 

 

 

 私はこの土地へ自らの足で立っている。悠久の時を経て為されたこれを、再びというべきなのか、初めてというべきなのかは分からない。ただ確かなのは、時が絶えず流れ続けたから、私は今、此処に居るということ。時が私を忘れ去ったからこそ、私は今、此処に居るのだ。

 私だけではない。此処に居るのは彼らも同じ。

 私は此処に居る彼らのことを知っている。彼らはずっと昔から生活を繰り返して、此処に住む者達だ。彼らが先だったのか、私が先だったのか。もしかしたら、私は彼らの一部だったのかもしれないし、反対に彼らは私の一部だったのかもしれない。生きることを、生活を繰り返す彼らを、私はずっと見ていた。だからこうして、私は彼らを知っているのだ。

 だが、彼らは私のことをまだ知らない。じきに、彼らは私を知るだろう。私のことを知った彼らは、私を軽蔑するだろうか。彼らは私を恐れるだろうか。――――それとも、彼らは私を受け入れるのだろうか。

 少しの間だけ、このことは置いておこう。考えなくてはならないことは、まだ沢山残っている。

 

 考えなくてはならないこと。私は一体何かということ。

 私は私を理解するために、それを想起するために、彼らと同じようにこうして物語を綴ってみた。私についての、ある始まりから終わりまで。物語を終わらせるためには、そしてこれが「物語」であるためには、まず始まりが必要だ。私が綴っているこれも、捉え方によっては物語なのかもしれない。先に物語だと言い切っておいて、ここで急に「かもしれない」と逃げるのは、少し卑怯なにもするが、物語だということにしよう。何故なら、始まりの文句も、終わりの言葉も、全て此処にあるのだから。

 私自身はどうなのか。私自身の物語は?

 この始まりは何処へ消えたのか。

 私の始まりは何処にあったのか。

 きっとその始まりというものは、もうずっと遠くへ消えていったのだ。今ではもう思い出せないそれは、もしかしたら意味の無い物だったのだろう。はじめから存在しないものだったのだろう。誰かに掛けられた言葉も、きっと始まりではないのだ。いつだったかなどと考えるよりも、天井のシミを数える方がずっと有意義であるに決まっている。

 ここまで来るのに、何度失敗をしたのか。どれだけのものを得て、どれだけのものを犠牲にしてきたのだろうか。私が私になってから、最初に失ったものは何だっただろうか。最初に得たものは、一体何だったのだろうか。私が私になる前はどうだったのだろうか。その答えは何処にもない。否、私はその答えを求めているわけではない。答えを出すことが目的でもない。

 何度も意味のない問答を繰り返す。この、泡沫の様に浮かび、一瞬だけ形を見せてから消えていくこの疑問は、私がそれに答えを見出だすことは、私が私であるために必要なことであるように思う。

 答えを失ったわけではない。思い出せないわけでもない。私は何かを手放したつもりはない。もしかしたら、知らないうちにこぼれ落ちてしまったのかもしれない。きっと、私が失ったものを、私は覚えていない。私がそうなら彼らも、きっと自身が失ったものを覚えていないのだろう。

 

 彼らの日常は続いている。何事もなかったように、今日もこうして続いている。しかし、こんなものは永く続かないのだと相場は決まっている。問題のないようにみえる彼らの日常は、粘つく不快な咀嚼音に混ぜられて、誰かの悲痛な泣き叫ぶ声に掻き乱されて、大切なはずの形と色を失い始めるのだ。

 そして残念なことに、彼らはそれに「気付き始めてしまった」のだ。彼らはそれから「世界を疑い始めた」のだ。

 

 そう、ようやく彼らは、舞台を虚ろな目で眺めるだけの観客から、意思を持った演者として、明るくて暗いこの舞台へ足をかけたのだ。

 時間の経過は残酷だ。人の意識を書き換える。人の認識を書き換える。大切なものを書き換える。そうして、そんなことを簡単にやってのける。時間はいつでも等しく流れる。生き残るための術を示しながら、いつでもゆっくり流れ行くのだ。生き残るためには、その術を読み取らなければ、感じ取らなければいけない。彼らが生き残るための術を、彼らは今、ようやく知ったのだ。生き残るためには、演者になるしかない。客席は安全な物ではない。

 

 ほら、客席はもう、見る影もなく崩れて消えていった。

 

 

 演者がいれば物語は続く。観覧者がいなければ、その頁に栞を挟んで、一度閉じてしまえばいいのだ。

 物語の途中に挟まれた栞を探して、久し振りに本を開く。もう一度その物語の世界に浸りたくて、古い観覧者が席を探す。挟んだつもりの栞は見当たらない。きっと、とうの昔にその紙が腐って失くなってしまったのだろう。栞だけではない。物語が記されている本は、紙が日に焼け、文字は褪せて、表紙はぼろぼろに崩れている。表題が読めないほどぼろぼろに。物語が読み取れないほどがさがさに。この本のことを、この物語のことを、知っている人など何処にも居ないのだろう。けれども、それは不幸なことかもしれないし、幸いなことかもしれない。

 偶然それを手に取った者が本を開く。何も知らない新たな観覧者が客席につく。また誰かの手によって、それは続いていく。

 物語は忘れ去られる。吐いた言葉も、紡いで記された言葉も、いつかはほどけて消えていくのだ。世界から忘れ去られても、もう誰も覚えていなくても、終わりがない限り物語は続く。物語の住人は、惑うことなく、疑うことなく、ただ決められた日常を、変わらないありふれた日常を、何度も、何度も繰り返し続ける。何度も、何度でも。悠久の時をかけて。終わりのない日々を、始まりを忘れた日々を、反芻するように、壊れたようにネジを巻き続ける。

 

 終わりもない。

 始まりもない。

 正解も、不正解も。叶う望みも、崩される絶望も、何一つ此処にはない。もし、今挙げたものが、一つでもあると言うならば、それはただの仮初めでしかない。ただの幻想でしかない。誰かの夢でしかないのだ。

 

 誰も私のことを待ってなど居ない。誰も私のことを、望んでなど居ない。誰も私のことを、知りはしないからだ。

 だが、それは少し前までの話。

 私の今の役割はたしか「先生」だっただろうか。子供達に本を使って勉強を教えるのだ。

 

 私は誰なのか。

 先のこの問いへの答えだが、私は私。そして今の役割は子供達の前で教鞭をとる先生である。

 ただそれだけ。あの時の私は、役割が何も無かったから、きっとこんな風に答えられなかったのだろう。

 

 貴方がここまで読み進めるのに何分掛かったのか。貴方は、私の為にどれだけの時間を割いてくれたのだろうか。

 だがそれももうすぐ終わり。時は、いつか必ず終わりを連れてくる。

 それは風化。人もモノも劣化する。

 それは消失。それは消滅。形あるものは、いずれ消え行くものなのだ。

 流れる。進む。前へ、前へ。

 時は絶えず流れ続ける。時を刻む針が、錆びて動かなくなろうとも、時計という物の存在を皆が忘れてしまっても、絶えず変わらず過ぎ行く。それは永遠のものである。それは不変のものである。そして、それは終わりまで続く。誰一人居なくなるまで、または、世界が終わるまで。

 

 

 物語が好きな私は、意味のない比喩を混ぜすぎてしまった。分かりにくかったらすまないね、私は意味のないモノが好きなのだ、どうか許してほしい。

 

 

 さて、私の意味のない話はこれでお仕舞い。

 

 役者は全て出揃った。

 最後のページに残るのは彼らだろうか。それとも私なのだろうか。残されたページは、あと僅かだ。

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