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第1章 3話​

 

 

 

 

 

 子供というのはなんでもスポンジのように吸収してしまうのだ。なので、言葉選びを慎重にしなくてはならない。軽率に自分の思ったことを口に出すなんて、以ての外だ。

 

 私は自分を面倒くさがりだと思っている。まわりはそれを慎重なのだというが、私はそうは思わない。私は慎重に考えているのではなく、決めることを先延ばしにしているだけだ。そんな私は今、子供達に勉強を教えている。ものを教える立場である以上、軽率な発言なんてさらに出来るはずもない。ああ、なんと面倒な役割か。毎日のように、子供達が教室と呼んでいる勉強会を開き、剣術や基本的な勉強について教える。子供は好きな方だ。子供達も私を先生と呼ぶ。あれから、もう何年になるだろうか。私が「先生」になったきっかけはあの時、酒場で友人と他数名で飲んでいた時のこと。

「この街の子供達が何かを学ぼうとすると、ここには学校の様なものは無いし、読み書きが得意でない大人も沢山居る」

 酒をあおりながら、飲み仲間の一人が言う。

「そうですね」と私はとりあえず相槌をした。

「そこでだ、ルートヘルさん。あんた元々学者か何か志望だったんだろう?」

「まあ、そうですね」

「お前はずっと頭いいもんなあ! オレと違って頭良いもんなあ! くやしいぜ……」友人はそう言ってジョッキを飲み干した。

「じゃあ対して変わらないな! 医者も学者も教師も全部先生だ。……ってことで子供達に勉強おしえてやってくれ」

「そうですね。はい、やりましょう」

「え? おま……ルドまた勢いで決めただろ……!」

「そんなことない、やると言ったのだ。やるぞ」

「おい、みんな聞いたな? 明日からルートヘルさんは『先生』だ、子供達に勉強を教えてくれるってよ」

 と、こんな具合に、あれは無理やり先生役を押しつけられた様なものだった……のかもしれない。まあ酒の席の勢いで決まってしまったことは、自分で責任を持って始末するしかないだろう。仕方の無いことは仕方の無いことだと受け入れよう。勉強を教え始めた当初は面倒だと思っていた。だが今日まで続けられているのを考えると、私はものを教えることは嫌いではなかったようだ。実際、子供達の自由な考えに触れることができるのは刺激になる。

 

 教室で教えている基本的な勉強というのは、文字通りの本当に基本的な文字の読み書きくらいだ。他にはこの街に住むためには必要な知識といったところか。この街には、デュハウントという化け物についての言い伝えのようなものがある。あれはおおよそ、夜寝ない子供を寝かしつけるためのおとぎ話のようなものであるが、この存在について言及するのは避けている。そういうデリケートな問題に触れると面倒なことになると思うからだ。だから私は、このデュハウントについては否定も肯定もせず、いつも通り慎重に考えているように振舞っている。

 

 今日も子供達が集まってきた。

「ルド先生こんにちは‼」

 子供達が元気に挨拶をしてくる。

「こんにちは、今日も随分元気だな」

 教え子の人数も増えたので、時間や日付で年齢別にみている。この時間帯の子供達は全員集まったようだ。

「さあ、今日は何について学ぼうか」

 教室は始まったばかりだ。そこで一人の子供が不安そうに手を挙げた。

「……あのね、先生。質問があるんだ」

「なんだ? とりあえず聞こう」

「僕昨日ね、お母さんにまた言われたんだ。『真っ黒い何かに目をさらわれてしまうよ』って。それって本当にいるのかなあ?」

「言い伝えのことかな? 難しい話だな……。それについては、私は居るとも居ないとも言えない」

 いつものように返したが、今日は何故か子供達が食い下がってくる。

「えー? 先生は『先生』でしょ? 教えてよー」

「ボクも知りたーい」

「私もー!」

「……そうか。仕方の無いことは仕方の無いことだと受け入れるべきだな。では、今日はそれについて話そう」

 まさか一番面倒な、「デュハウント」について話さなくてはいけないとは。言葉とは難しいものだ。私は子供達にデュハウントについて知っていることについて、この街の言い伝えから順に話した。

 

 この街の言い伝えは、家庭によってニュアンスが若干異なるようだ。だが共通しているのは、デュハウントという化け物が居ること、その化け物が子供達の目をさらうこと、対策として鉱石で出来たお守りを持ち歩くこと、日が暮れたら名前を呼んではいけない、ことらしい。そして、よく家庭で話されるのは、「眠らない子供の元には怖い化け物が来て、目をさらっていってしまう」という話だ。

 実際にその化け物がいるのかいないのかはわからないが、子供達に教える立場にある手前、その存在について否定も肯定もできないのが事実である。見たことのない物は信じない主義だ、私はただのおとぎ話だと思っている。しかし、私が肯定してしまった時には、その存在について詳しいものだと思った子供達が教えてくれとしつこく言ってくるに違いない。否定してしまった時には、子供達を怖がらせるために使っていた話が使えなくなるものだから、親達に文句でも言われるかもしれない。結果、そんな面倒なことにはかかわらない方がいいのだ。だと言うのに、肯定も否定もしなくても話さざるをえない状況になるなんて思わなかった。でもまあ、そんな事情は子供には話せないので、そっと胸にしまっておこう。

 デュハウントについて、実際に見たという人間は少ない。そのため見た目や大きさについては様々な証言がある。真っ黒い影のようなもので、目のない化け物であり、大きさは大人くらいだという者から二階建ての建物くらいだという者まで様々だ。デュハウントに襲われ、目をさらわれた子供に対して、「取り憑かれた」という表現をすることがある。なぜそのように言われているのか私はわからない。私はデュハウントを見たことがないが、「取り憑かれた」という子供は前に見たことがある。何年かに一度というような頻度で、私の教室の生徒になる場合もあるからだ。見た目などは特に変わりはない普通の子供だったのを覚えている。たしか、最近入ってきた一人もそうだったような気がする。

 その姿以外で分かっていること、鉱石が苦手だと言われていることくらいだろうか。この街の人間はみな鉱石を加工したものをお守りとして持ち歩いている。私も、とりあえずポケットにいれている。

 私がデュハウントを見たことがないのは、本当にデュハウントは鉱石が苦手で、鉱石を持つ人間に近づけない為なのではないかと思う。

 他には、最近では子供だけでなく、大人にも手を出し始めたようだと噂に聞く。デュハウントはなぜ人間を襲うのだろうか。デュハウントは目の無い化け物で、人間から目をさらい、自分の目の代わりにしようとしているとも言われる。過去に何人もの子供達の目がさらわれているのに、まだ足りないとでも言うのだろうか。

 

「まあ、結局はだな、デュハウントが居ようが居まいが、お母さんやお父さんの言う通り、言いつけを守ってさえいれば大丈夫だという話だ」

「はーい」

「思ったよりも長くなってしまったかな。丁度良い時間なので勉強はこのくらいにしようか」

 この後も予定通り、子供達に勉強や剣を教えて、こんな風に私は先生として一日を終える。

 

 

 今日も仕事を終え、部屋に戻る。お気に入りの椅子に座り、月なんてみながら葡萄酒や麦酒を飲みたいところだ。しかし――私にはそんな自覚はないのだが――酒癖が悪いと周りに言われているので、残念なことに酒をとめられてしまっている。部屋に置いていたものも没収されてしまい一滴も無いのだ。こんな理由から晩酌なんていうものは出来ず、なにもすることもない私は……今日も素直に眠るとしよう。ベッドに腰掛け、もう終わってしまう今日を振り返りながら考える。また次に目を覚ましたら明日だ、そうやってずっと続いていくのだろう。こうして繰り返されるのは、夜が来て、また朝が来て、子供達に会い、勉強や剣を教える、ただそれだけの日々だ。

 

 私は、今日子供達に話したことを思い出していた。

「デュハウント……か」

 そう何気なく呟いた。その瞬間、パキン、と何かが壊れるような音が聞こえた。壊れるような物など持っていただろうか。そう思ってポケットに手を入れてみると、お守りがあった。取り出してみてみる。そこには私のお守りである物が、簡単に割れるはずのない瑪瑙石が、まるで刃物で切られた果物のように、スパッと綺麗に不自然に割れていた。そして、そのまま私の手からこぼれて落ちていった。途端、部屋の空気が変わっていく。空気がドロドロに固められたように、重たくのしかかる。自分の体もありえないほど重く感じる。思ったように動けない、そんな中で感覚だけが研ぎ澄まされているような、そんな不気味な感覚だ。

 

 ああ、本当に言葉は難しい。口に出すなんていうものは特に。

 

 私は子供達に話したことを思い出した。そうだ、「日が暮れたら名前を呼んではいけない」のだ。本当に、対象は子供達だけではなかったらしい、噂は本当だった。この時を待っていたとばかりに、夜の影があっという間に私の部屋へ集まってくる。目の前に広がる想像も出来ないような光景に言葉も出てこない。目の前の床が真っ黒になる、光なんて知らない、そんな色だ。そしていつの間にか、目の前には人間くらいの大きさの影のような、どこまでも真っ黒な塊が立っていた。初めて見るそれは、細長い二本の足でそこにゆらゆらと立ち、平たく細長い二本の腕を伸び縮みさせている。頭に向かうほど影のような物の輪郭は曖昧になり、頭部はまるで透けているようだ。そしてそこには目がないはずなのに、こちらをじっとみつめてくるような感じがする。やはり、こうなってしまったからには他に方法はない。化け物相手に戦えるわけもない。武器も思考も、なにも役に立たないのだろう。

 

 もう仕方の無いことは仕方の無いことだと受け入れる他ないのだ。私の方に伸びてくる手のようなものを見て、私は目を閉じた。

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