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第1章 4話​

 

 

 

 

 

 私はたまに考える。世界は一体いくつあるのだろう、と。

 

 私は五歳の頃にデュハウントに「取り憑かれた」。そして父と母は私を手放した。それはきっと、私が普通の子じゃなくなってしまったからだと思う。四歳までは普通に見えていた。でも今の私の右目は、白と黒にしか見えない。色がない。左目も正しく見えていないみたいだ。みんなが見ている色と少し違うようで、みんなが言うみたいに、お花や果物なんかの色がキレイに見えるわけじゃない。

 

 今日は教室へ行く日だった。教室は明日で最後で、それからしばらく休みになると言うから、行かないといけなかった。みんなと話すのはキライじゃなかった。でも、みんなに会わないといけないのだと思ったら、なんだか足が動かなかった。みんなとちがう私がそこに行ってもいいのかな、と考えてしまうから。

 明日は行くね、と約束していたけれど、やっぱり行きたくなかった。だから私は、花屋のよこに座っていた。長い間座っていた。花屋のおばさんは、どうしたの? と私に笑いかけてくれたけど、何も返せなかった。朝からお昼すぎまでずっと、今も座っている。花屋にはたくさんの客が来た。プレゼントだったり、部屋にかざるためのものだったり、みんな買った花を大切にかかえて店を出ていくのを見ていた。みんなはきっと花が好きなのだろう。私は、みんなみたいに花が好きではないから、なんでみんながこれを喜ぶのか分からない。

 昼過ぎになって、一人の女の子がやって来た。その子は私よりも歳上のお姉さんだった。土の入ったプランターをもって、花の種を買いに来ていた、変わった女の子だった。種を買うだけならプランターはいらないと思うのになぜ持っているのだろう。

 

 少し経ってから、彼女が店から出てきた。店から出てきた彼女は、そのかかえているプランターに話しかけていた。

「まあ、恥ずかしがり屋さんなのね! 大丈夫よ、私のお家にはもう一つ鉢があって、そこにはお友達の妖精さんもいるわ! アナタもきっとお話したくなって、すぐに出てきてしまうわ。ふふ!」

 ああ、これ絶対変な人だ。しかも関わってはいけないタイプの……。そう思い彼女のことを不思議そうにみていたら、目が合ってしまった。そして彼女は私めがけてズンズンと近づいてきた。

「どうしたの? あっ、もしかして、なにか困っているのでしょう? いえ、困っているに決まっているわ!」

 彼女が話しかけてきた。腕にすっぽりかかえられる大きさのプランターを持ったまま。彼女は普通の顔で持っているが、土も入っているそれは結構重そうだった。

「いいえ、なにも困ったことは無いの。大丈夫」

「私はね、困っている人を放っておけないのよ。目の前のアナタが困っているのだもの。放っておけないわ!」

 困っていないと言っているのに、放っておいてくれない彼女は一体何者なのだろう。返事に困ってだまってしまった私に彼女は続けた。

「でもね、私話を聞くことくらいしかできなくて分からないの、アナタみたいに困っている人の役に立ちたいのに……。どうしましょう……あ、そうだわ!」

 彼女は自分で持っていたプランターを私に手渡しながら言う。

「何か困った時やふさぎ込んでしまった時はお花を育てると良いのよ! これ、種も土も入っているから大丈夫よ。お水をあげてお花が咲くと、妖精さんがお話してくれるようになるの!」

「え、でも……それって大切なものなんじゃないの?」

 あんなに大事にかかえているのだから、大切なものに決まっている。そんなものはもらえないと断ろうとしたが、彼女の勢いの方が私の数倍強かった。

「アナタなら大切にしてくれるような気がするから良いのよ! あげるわ! どうぞ!」

「……あ、ありがとう」

 そして私は、名前も知らない女の子から花のプランターをもらってしまった。私はもらってしまって逆に今困っているよお姉さん……。彼女は一体何だったのか。思い返すと、妖精さんだとか、何か変なことを言っていた気がする。手を振りながら彼女は走って去っていった。

 

 彼女が去ってから、しばらく、もらったものをながめていた。ごく普通のどこにでもありそうなものだが、キレイに手入れされていた。まるで新品かのようだ、きっと彼女は物を大切にする人なのだろう。プランターとにらめっこしているのもあきたので、またさっきと同じ様に花屋を出入りする客をながめる作業にもどろうとした。その時、何かが視界に入った。多分、先ほど彼女が立っていた場所だろう。そこにノートの様なものが落ちている。きっと彼女の落し物だ。同じ街に住んでいるのだからまた会えるだろう。今度会った時にでもわたそうと思い、今日はとりあえずそれを持ち帰った。そんなことをしていたら、もう日が暮れそうになっていた。私は彼女の言っていたことを思い出しながら、家に向かう。

「いや、妖精さん……とか言ってたなあ。あのお姉ちゃん大丈夫なのかな……」

 

 家に着いて、今度会ったときにわたすのを忘れないように、いつものカバンに入れようとさっきのノートを取り出した。改めて見てみるとそれは日記帳だった。他人の日記なんて読んではいけないとわかっている。でもなんだか気になってしまって、私は表紙をめくっていた。中は普通の日記だった。

 ――今日もお水をあげたわ! 早く大きくなって綺麗な花を咲かせてほしいな。お花を育てると、お花の妖精さんが生まれてくるの。そして私に話しかけてくるのよ。お花が開いたのと一緒に出てくるの! みんな最初は、お水をいつもありがとう、なんていうのよ! お礼を言えるなんて素晴らしいわ! 妖精さんってなんて素敵なのかしら! そして、いつも私の話し相手になってくれるの。今日も――

「うーん……やっぱり妖精さんとか書いてあるけど……」

 ここには彼女にしか見えない彼女の世界があるんだ、そう思った。どこまでめくっても同じような文。これは私には見えないものだ、私に見えるのは私だけの世界。きっと、人の数だけ見える世界があるんだ。人の数だけ世界があるんだ。なんだ、みんなとちがっていても、何の問題もないのだ。勝手に読んでしまって、あの女の子には悪いけど、なんだか勇気をもらった気がした。読んだのも勇気をもらったつもりになっているのも、全部私の勝手なのだけれど。明日こそ、友達に会ってみようかな、少しだけ思った。自分を自分で受け入れられたら、きっと見える世界もかわるんだろう。そう思った時だった。

「なんだろう、これ……」

 この日記帳の最後の方に、他の場所とは違う書き方で記された部分があった。

 

 ――きっかけはちょっとした出来心だった。皆は何も言わなかったけれど、私はずっと気になっていた。だから、この街の歴史について調べ始めた。それには、もう一人の友達もそれに付き合ってくれた。この街の言い伝えについて、ここに住む人で、それを知らない人はいないと思う。いつから言われているものなのか、それの正体は何なのか、私達は調べた。調べていくと、不自然な部分が沢山あった。やっぱりこの街は変だった。ある時から友達は来なくなった。友達は、私よりも先に真実に辿り着いたようだった。それを、私はもらったメモを読んで初めて知った。そこには、本当のことを知ってはいけない、そしてそれを口に出してはいけない、そう書かれていた。友達の家にも行った。その母親と話したら、「そうなの、帰ってこなくなっちゃったのよ。どこいったんでしょうね。まあ帰ってくると思うから問題無いわ。ただの家出でしょう?」というようなことを言っていた。対して気にしていない様子だったんだ。私はそれにも不自然さを感じた。娘がいなくなっているのに探そうともしない、焦った様子もない、取り乱したり叫んだりなんてする様子もない。そしてもう二度と友達と会うことは無かった。彼女は何かに巻き込まれたに違いないとわかった、でも私にはどうすることも出来なかった。そして、調べていくうちに、私も真実にたどり着いてしまった。それは――

 ここはぬりつぶされていて読めないようになっていた。簡単に本当のことを知ることは出来ないということなのだろうか。気になるところだというのに。

――だったんだ。ダメだ、こんなの私一人で何とかなることじゃない、でも私が言ったところで誰も信じないに決まってる。本当のことを知ってしまった私は、それを誰にも気取られないように、私は私を偽ることにした。だから私は、気が違っているようなフリをする事にした。本当のことをしってしまったあの子は死んでしまった。だってまだ私は死にたくない。そう、あの子みたいに死にたくないもの。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない――

「きゃあ! なに……これ……」

 私はこわくなって日記を閉じた。見てはいけないもの、知ってはいけないものにふれてしまった気がした。

 

 次の日、私はまた教室には行かずに、花屋の前にいた。この日記帳をすぐに返さなくてはならないと思ったから。少しでも早く手放したかった。ここにいたら彼女に会える気がしたから。でも、私は普通の顔で話すことが出来るのか、不安でうつむいていたら、彼女が現れた。

「あら? 昨日の女の子ね! お花さんは元気? 私のお家の妖精さんはね……」

「まだ一日だもの、芽もでてないよ。あの、これ」

「あらあ? 何かしら」

「昨日、これ落としたでしょう? わたそうと思って持って帰ったの。勝手に持って帰ってたの、はいどうぞ」

「ありがとう! ノートさんも喜んでいるわ、こんな優しい子のお陰で私のお家に帰れるのだから! そう? 嬉しいって言っているのね? ふふふ!」彼女はノートを耳に当てながら、まるで本当に何かが聞こえているようなそぶりで話していた。

「あ、あの……」

 私は後ろに書いてあった内容について、訪ねようとした。でも、言葉が出てこなかった。

「(その様子だときっと読んでしまったのね)」

「ええと……」

「……大丈夫よ。でも、これ以上何も知ってはいけないわ。この街にいる限り、……この街に殺されるまでずっと、私もアナタもこの日々を続けないといけないのだから」

「え?」

「お花さんが待っているから私帰らなきゃ! じゃあね!」

 彼女は日記帳を受け取り、そう言って、昨日と同じように走って去って行った。

 

 私に見えるのは私だけの世界だ。でも知らない世界はすぐとなりにあって、その中には知ってはいけないものもあったのだ。それを知ったところで何も出来ない。だからこうして、同じ日々をくり返していくのだ。

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