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第1章 5話​

 

 

 

 

 

 人は、理解しているからこそ、その認識通りに動ける。自分の物差しで測って理解しているつもりになる。理解出来ていないとは誰も考えない。そう、その物差しが壊れていたり、それが足りなかったりするとは誰も思わない。

 

「……うっわ! まっじぃ‼」

 最悪だ。もうこんな不味い食い物を作れるなんて、これは逆に才能なのではないだろうか。今日の朝食はポークジンジャーとマッシュポテトのサンドイッチ。お気に入りなのだが、自分で作ると何故かいつも味が変わってしまう。材料は同じはずなのに何故こうなるのか。はあ、今日は失敗だ。とてつもなく不味い。気分はどん底に下がったままだ。ショックすぎてなにもやりたくない、がそういうわけにはいかないと何か用事があったことを思い出す。そうだ、今日は友人と会う約束をしていたのだった。時間はもうとっくに過ぎている。急がないと間に合わないな、いや、もう間に合わないかも。不味いサンドイッチを仕方なく口へ押し込んで家を出た。

 

 今日は……あれ、誰と会うのだっただろうか?全く顔を思い出せない。まあ、とりあえず歩いていれば何とかなるだろう。そう思い通りを歩いていたら、すれ違いざまに見たことのない青年が話しかけてきた。

「おい、エト! どこ行くんだ?」

「……え? 何?」

「お前、今日俺と会う約束してたろ?」

「あ、ああ」

 何とか、無事会えたようだ。本当に歩いていれば何とかなるとは。

 

「はあ、エト。お前さあ、本当に約束が苦手だよな」

隣に立っている青年が言う。顔は、なんだか少しぼやけていてよくわからない。なんだ、今日は目の調子が悪いのか?そう思って目をこする。聞こえてくる声は、確かに友人のものだ。彼もオレのことを良く知っているようだ。ということはおそらく、彼は本当にオレの友人なのだろう。

「……ああ。『約束な』って言われるのが嫌なんだよ。絶対なんて無いのにって思うからさ」

「わかったって。それはいつも聞いてる台詞だからな。そうじゃなくて、また俺との約束忘れていただろうって言ってるんだよ」

「あ、約束してたんだっけ? 悪い、また忘れていたみたいだ」

 約束は覚えていた。待ち合わせ場所へ行けなかったことを、約束相手が彼だったことを忘れていた理由を説明するのが面倒だった。だからオレは約束すべてを忘れていたフリをした。

「今日はたまたま会えたから良かったものの……」

 彼は、オレに対して、いつものように文句を言っている。これから昼食を食べに行くと言うだけなのに、しかもそれはオレの奢りだというのに。彼はぶつぶつ文句を言っている。まあオレはさっき食べたばかりなのだけれど。オレは約束というものが苦手だ。確かに約束を守らなかったオレが悪い。彼がこう文句を言うのも、オレが約束を守れないのも、どちらもいつもの事なので、いつも通りお互い気にせず歩く。そんな中、彼が口を開いた。

「……そういえば、お前変なこと言ってたよな? たしか……『 重さ』が操れるようになった、とか?」

「ああ、きっかけとかはわからないんだけど、突然できるようになったんだ」

「なあ、それみせてくれよ!」

「え? まあいいけど……。まだそんなに上手くは無いんだけどさ」

 立ち止まって、オレは剣を取り出す。そしてそれを友人に持たせた。

「ん? 普通の剣だよな?」

「ああ、ただのオレの剣だよ。じゃあいくぞ?」

 剣を見つめて、重くなれ、と念じてみる。まだ使い方が上手く分からないが、こうするのが一番成功する。すると、友人の表情が徐々に信じられないといった顔に変わる。そしてそれを持ちきれなくなった彼の手から落ち、オレの剣が地面にその見た目からは想像できない音と土煙をたててぶつかった。

「え、マジ?」

「マジ」

「え、何お前、すげえじゃん! 手品みたいだよ!」

「そうか? そんなに喜ぶと思わなかった……」

「あ、そうだ! 今夜酒場のオヤジ達にも見せてやれよ、こりゃ絶対驚くぞ!」

 どうやらまた約束を取り付けられたようだ。まあ、次は夜に酒場に行けばいいだけだから問題はないだろう。楽しみにしてるよ、と彼は言って去っていった。彼と別れた後、その他の用事も一緒に済ませて帰ろうとした時には、辺りはすっかり夜になっていた。

 

 昼間彼と約束した通り、オレは酒場に行った。そして、彼に言われたように酒場のオヤジ達にも見せてみた。大してウケないだろうと思って、オレは友人に見せたのと同じことをして見せる。しかし、皆すっかり酔ってしまっているのもあって場は思っていたよりも盛り上がった。

「おい、兄ちゃんすげえな!」

「手品師として、食っていけるんじゃねえか?」

「おい、誰かコレ持ち上げてみろよ! 力比べだ!」

「おし! やってやるぜ!」

「ははは‼ おめえ少しも動いてねえよそれ!」

 その後も色々な物の重さを増やしたり減らしたり、オレの出来ることは一通りしてみせた。流石に、こんなに一気にやったのは初めてだ。そのためか、なんだかどっと疲れたので帰ることにした。酒場のオヤジたちは上機嫌でオレを見送ってくれた。

「兄ちゃんまたな!」

「面白かったぜ、ありがとな!」

「ああ、また」

 そう言って皆の顔を見た。しかし、何故か皆顔の部分だけ靄がかかっているかのように、誰の顔も見えなかった。そう、まるで顔が消えてしまったかのように。

 

 きっと疲れがたまっているせいだろう。少し夜風に当たってから帰ろうと通りを歩く。夜だというのに、ちらほらと人がいるものなのか、そう思いながら歩く。でもやっぱり何かが変だ。そんな違和感を覚えながら歩く。周りをよく見てみると、すれ違う人に顔がないことに気がついた。これは一体どうなっているのか。もしかして、いや、もしかしなくてもこれは、街をすれ違う人の顔が見えていないのか――彼らは本当に人なのか? もしかして周りの人達は人間ではないから見えないのか? いつの間にか、オレ以外の皆が消えてしまったのではないか?――ぐるぐると無意味に考えてしまう。

 

 なにか思い当たることはないか頭を動かす。最近変わったことといえば、「重さ」を操れるようになったこと。……そうだ、さっきまで、それを見せてくれと言われて誰かに見せていた。夜の、この街の酒場で、顔の思い出せない誰か達に。まるで手品のようだと喜ばれたのが嬉しくて、オレは色々な物の重さを変えてみせた。そう、初めて夜に力を使ってみたのだ。今までこの力を使ったのは、日のあるうちだけだった。それもいつもは一瞬だけ。それだけだ。いや、もしかしてそのせいだって言うのか?たった一晩で?オレは一体どうしてしまったというのか。鏡で自分を見てみる。自分の顔もわからない、見えないのだ。街ゆく人々と同じだ。顔のあたりに靄がかかっているようで、顔がハッキリと見えない。そこにおそらく顔があるだろうと分かるだけだ。これじゃあ、自分が自分なのかもわからないじゃないか。

 

 どうすることも出来ないオレは、とりあえず落ち着こうと一人で部屋に戻る。はあ、最近疲れているのかな、そうおもって目を閉じる。眠ろうと思ったが、なんだか指先が冷えていくような変な感じがした。辺りも季節を間違えたかのように不自然に冷え込んでいる。嫌な予感しかしないが、そっと目を開くと目の前にまっすぐ、ゆらゆらと立つ影があった。

「……なんだ、オレ、お前に会ったことあるよ。思い出した」

「……」

 オレはその影に話しかけた。返事はない。それはそうだ、相手はあの化け物なのだ。やっと顔のわかる奴が出てきたと思ったら、相手が化け物だなんて。ああ、そうだ、なにもかも気づかなければ良かったのだ。気づかなければ、何もかも知らなければ幸福だったのだから。

 ああ、きっとこれは思い出してはいけないものだったのだろう。残念なことに、思い出してしまったが。そうだ、オレはあの時、コイツと出会って目をさらわれたのだ。それからオレは、誰の顔も分からなくなった。一度オレから目をさらったのに、また現れるなんて誰も思わないだろう。抵抗する間もなく、その化け物の手のようなものが、オレを目掛けて伸びてくる。

 

 動けない。逃げられない。恐怖で体が動かないから。手足は、血の気が引いていくのがわかる。感覚が、すっと鈍く遠くなる。まるで手足を拘束されて動くことがないように体を縛られているようだ。息がすえない、冷や汗がとまらない。奴は、自分の手をオレの目の周りに張り付かせるように置いた。

「ま、まて! ……ッ! ……や、やめ……‼」

 そして奴はオレの両目を、まるでスープをスプーンで口に運ぶかのように、するり簡単にすくいとっていった。ブチ、と何かが千切れる音が頭に響く。いくらそれが数分の、数秒の出来事だったとして、それを信じられるだろうか。時間の感覚が無くなったかのように、長く続く恐怖と苦痛。それは意識が飛びそうなほどの痛み。これまでで比べ物にならない、こんなの知らない、知るはずがない。声にならない。なるわけが無い。でもオレは叫んだ。言い表せない苦痛、味わったことのない恐怖。ああ、きっと刃物か何かで刺されるほうがよっぽどましなのではないだろうか。眼球のあった場所はただの空洞だ、熱と痛み以外、もうなにもそこには無い。

 

 奴はまだいるのか、それともいなくなったのだろうか。今のオレには確認する術はない。静かな夜の部屋で、自分の血が床にボタボタと落ちていく音と自分の切れた息だけが聞こえる。目のあたりが痛くて、熱くて、血が止まらない。こんな感覚初めてだ。ああ、もしかしてこれが死ぬってことなのかもな。想像もつかない、理解が追い付かない。当然誰も死んだことが無いんだ。死は怖い。死にたくない、助けてくれ、そう思った時、オレの声が聞こえたのか、バタバタと誰か階段を上がってオレの部屋に来た。

「エト!? 大丈夫か? 何があった!」

「はあ、はあ……あ、アイツだよ、あの黒い化け物だ。 オレの目を抜き取っていったんだよ……‼」

 当然そんな言葉を誰も信じない。実際、ここに辿り着いた「誰か」も、オレが狂ったのだと、自分で自分の目を潰したのだと思ったという。他の皆も口々にそう言った。その時の皆は、一体どんな表情だったのだろう。

 

 

 何とか手当をして貰って、命は助かったというところか。何が起こったのか理解できない。わかっていること、揺るがない事実は、「目を抜き取られた」ということだけ。もうオレの目は何も光を感じない、何も見えないのだ。

数日して体調が落ち着いてから、オレは街へ出た。きっと、街を歩けばまたあの時みたいに何とかなるのではないだろうか。そんな気がして、壁を伝って、杖を持って、街を歩く。やはりなにも見えないな、と街を見渡すように顔をあげる。オレの目はもう何も見えない……はずだったのだ。コレは一体何だというのか。

 

 街の空まで続く空気は灰色の靄ように見えた。建物は黒い塊だ、形が分かる。それはまるで影のようだ。風に吹かれているように、淡くゆらゆらと輪郭が揺れ動く。そして人影も見える。いや、人影なのか?よくみるとどこか知っているものと違うような気がする。街をすれ違うのは、人影だと思っていたものは、歩き姿がどこか不自然で、そして見たことのある影だった。

「ああ、お前か」

 ――デュハウント。オレの目を抜き取っていったアイツだ。街を行き交う人影の様なものは、すべてそれだった。

 今まで見えなかった物が見えるようになるなんて、本当は見えていなかっただけで、アイツらはこんなに近くに居たのだ。

「はは、ははははは! なんだ、なんだよ……なんなんだよ! オレが何をしたっていうんだ‼」

 地面を思い切り蹴る。理解してしまったのだ。今まで見えていた世界は全てじゃなかった、見えない何かがずっとそこにいたのだ。目が見えなくなって初めて、自分の物差しが欠けていたのだと、短すぎたのだと理解してしまった。いや、オレの物差しが壊れてしまったのか?ああ、誰しも目に見えている物が全てだと思うだろう、当然だ。ああ、そうだったんだ、それは間違っていた。この街が間違っていた。この街そのものがアイツだったのだ。

「おい、兄ちゃん大丈夫か⁉」

「え? 何?」

「どうしたの、この人……大丈夫?」

 

 オレは仰向けに倒れる。当然空は見えない。見えるのはこちらに見向きもしない不自然な歩く影と、揺らめく輪郭の建物だけ。周りの声なんて、もう聞こえない。

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