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第1章 6話​

 

 

 

 

 

 私は嘘をついた。私が代わりになれるのなら幸福だと思ったから。

 

 私は歌を歌うことが好きだ。でも、もし聴かれたら恥ずかしくて耐えきれなくなってしまう。そう思うから、私は誰も聴いていないところで一人歌うのだ。

 

 でも、今日はいつもと違ったようだ。いつものように、誰もこないこの丘で一人歌っていた。歌い終えて深呼吸をしていたら、どこからか拍手が聞こえてきた。

「……素敵、ですね。青く綺麗に澄んだ歌声で……。ボクは歌を聞くのが好きなのでつい聴き入ってしまって」

「……うわあああ? き、聴いていたの……?」

「あっ……ごめんなさい。ここ、ボクのお気に入りの場所で。いつもみたいに風に当たっていたら歌声が聞こえてきたものだからつい」

「あ、ありがとう……」誰も聞いていないと思っていたのに、と私はぼそっと付け足した。

「また今度聞かせてください。では」

 彼はそんな風に感想だけを伝えて、丘をゆっくりおりていった。

 

 ここは私にとって、とっておきの場所だった。でもそれは彼も同じで、ここはかれにとってもお気に入りの場所だった。だから、それから何度も、同じようにここで会った。そのうちにだんだん話すようになって、彼と親しくなった。いつも一人で歌っていたのに、私はいつしか彼のために歌うようになっていた。最初は、歌なんて、もし聞かれたら恥ずかしくて耐えきれなくなってしまうと思っていた。でも彼のおかげで、誰かが聞いていてくれることは特別で、素敵なことだと知った。

 

 彼とは色々な話をした。彼は自分がデュハウントに目をさらわれたことがあると話してくれたこともあった。この街の言い伝えにあるあの化け物のことだ。

「ボクは小さい頃に見たから、覚えてはいないけど、こうなってしまったからきっと、『何か』は居ると思うんだ。アンニカはどう思う?」

「私は……言い伝えに対してはあまり信じていないわ。昔話なんじゃないかなって思っているの。実際にその『何か』を見たことがないし、目をさらわれたという人も見たことが無かったし。私は目で見たものしか信じないの」

「そうなんだ。ボクも見たのは小さい頃だったからなあ、記憶が怪しいけど……ほんとはどうなんだろうね」

 ごめんね、ヘンリク。私は嘘をつく。本当は私も同じだし、デュハウントはちゃんと居るのよ。私は誰よりもその存在を知っている。でも、これは誰にも言うことは出来ない。だって巻き込みたくないもの。本当のことは話しちゃいけない。その事だけは、ずっと彼に話せないでいた。

 

 この街では皆がお守りを持っているのに、ヘンリクはお守りを持っていなかった。彼の話によると、瑠璃色の鉱石でできたお守りを持っていたが、小さい頃に壊れてしまったそうだ。今はもう石は付いていないが、その十字架のようなモチーフの首飾りをずっと付けていると言っていた。私のお守りは、珍しい白い鉱石のものだった。本当は、わたしだって皆みたいな綺麗な色の物が良かった。だからあまり気に入っていないのだと彼に話したら、彼はそれを綺麗だと、そして大切にした方が良いと言った。

 

 それからも、彼とたくさん会った。色々なことをたくさん話した。それでも彼は、なんだか距離をとってくるというか、ずっと敬語で話してくる。「そんなこと、気にしなくていいのに」、と何度も私は言った。そうしたら、いつの間にか彼の緊張もだんだん解れてきて、普通に話してくれるようになった。そんな彼を見ていると、そんな彼と話していると、なんだか距離が縮まっていっているように感じて身体がポカポカするくらい嬉しかった。私は真面目で器用で、私の歌をいつも聴いてくれる、そんな彼が好きだった。いつのまにか、彼が居なくなることなんて考えられないくらいになった。そう、彼は私の弱点になっていたのだ。

 

 彼と初めて話したこの丘は、もともと私と彼のそれぞれのお気に入りの場所だった。今でもこうして訪れるくらい。

「ここは、やっぱり素敵ね。風が心地よくて……」

そう言って彼の顔を見た時、涙がこぼれてしまった。声も少しだけ震えてしまう。

「……?」

「ごめんね、今日はなんだか怖い夢を見たの」

「そうだったんだ。……大丈夫?」

「ええ、ありがとう。大丈夫よ!」

 そう言って私は思い切り笑って見せた。彼もそれに答えるように優しい笑顔をくれた。

 

 丘の下の方で子供達が遊んでいる。もう日が暮れる。子供達は走って街の方へ駆けていく。そのうちの一人が転んでしまった。そして、その子の首にかけていた紐が千切れるのを見た。何か光るものが転がった。あれはきっとあの子のお守りなのだろう。

「あっ、いけない……!」

 もう日が暮れてしまった。今、あれを手放してはいけない。私は子供に駆け寄る。転んで泣いている子供に声をかけた。

「大丈夫?」

「ひぐっ……うう……うん。ぼく泣かないよ」

「強い子ね。えらいわ」そう言って頭を撫でた。でも遅かったようだ。その子の落としたお守りを拾って渡そうとした時、もうあの影が目の前に立っていた。

「……! これをしっかり持って、もう絶対手放してはだめよ。気をつけて帰りなさい」

「うん。ありがとうお姉ちゃん」

 今度はもう落とさないように、そう言ってしっかりお守りを持たせた。子供がまっすぐ街の方へ帰っていく。あの影も子供から離れていった。これで安心だ。私も彼の元に戻ろう。そう思った。

 

 その時、私は思い出した。彼は、デュハウントに取り憑かれた人間だった。彼の力は高い自己治癒力。彼は前に汽車の事故にあって、その時に力を使って以来、左目を失明した。もう片方の光は、もう僅かにしか残っていない。

 デュハウントの力を使って、視力を完全に失った場合、両目の完全な失明の場合は、もうデュハウントに襲われることはない。でも彼はまだ、片目の視力が僅かに残っている。今のままじゃ彼はまだ襲われる可能性がある、と。嫌な予感が頭をよぎる。今朝の悪い夢が思い出される。

 

 途端、 恐れていたことが起こった。その影は消えていくように見えたのに、彼の方へと向かっていく。

 

「……だ、ダメ‼」

 

 私は全力で彼の元へ走る。やっぱりだめだ、堪えきれない。涙で足元が霞む。さっきから涙が溢れる。私はそんな風に泣くつもりはなかった。でも今朝見た夢が、彼が闇に連れていかれて消えるものだから、このままだと、もしかしたらもう会えないかもしれない、なんて考えると涙が止まらなくて。でも、今日彼と出会い、声をきいた。いつもの優しい色の、綺麗なグレーがかった左目を見た、もうほとんど見えないその目で私をみて、優しくほほえんでくれた。それを思い出して、さらに涙がとまらなくなった。私は、彼にはずっと、そうやって笑っていて欲しい。いつものように笑っていてほしいと強く思った。

 

 やっと追いついた。そして、私は自分のお守りを彼に渡す。彼は何か言っていたようだったが、口を動かしているだけで声が聞こえなかった。彼がお守りを持つと、彼の方に向かっていた影が、まるで彼を見失ったかのように、戸惑った様子で揺れだし、彼から離れていった。

「よかった、やっぱり『合ってた』んだ。……鉱石があると奴らは、人間の場所がわからなくなるの」

「アンニカ……?」

「大丈夫よ、ヘンリク。でもね、これだけは約束して。絶対にあの化け物の名前は呼ばないって」

「え……?」

 これなら大丈夫そうだ。おそらく彼は助かるだろう。

「なんだか、アナタが消えてしまうような気がしていたの。そんなの考えられない、私はアナタにずっと笑っていてほしい」

「なんで急にそんなこと言うんだ! ……はっ、ああ、そんな、君がいなくなったら、ボクは笑っていられるわけないじゃないか! ねえ、なにをするつもりなの? やめてよアンニカ!」

 なにをするつもりかって、そんなの決まっているじゃない、文字通り命懸けで、私はアナタを守るのよ。私は心の中で、彼にそう返した。

 

 本当は、私はデュハウントについて、他の人より少し詳しかった。それは、私の父がデュハウントについて調べていたから。私の父は医者だった。でも、この街に不自然さを感じていた数少ない人の一人で、言い伝えや何もかもについて、調べていた。私がそれを知ったのは父が死んで、その手記を初めて読んだ時だった。父はとても過保護だった。私を大切に育ててくれて、デュハウントには一切関わらないで済むように、その情報全てを私から遠ざけるほどだった。でもそんな父はデュハウントに襲われて死んだ。父は「取り憑かれた」人間だった。その、「取り憑かれた」人間の末路を知っているのは、この街で私だけ。

「ヘンリク……アナタは、前に目をさらわれているのよね?じゃあ、もしつかまっていたとしたらこれは二回目。もしかしたら、アナタが死んでしまうかもしれないの。そんなのは嫌なのよ」

「待って、アンニカ! ねえ、君は今どこにいるの!?」

「私、本当は他の人よりも『デュハウント』について知っているの」

「あ……ああああ‼ なんで、何でそんなこと! 名前を呼んだらダメだって君が言っていたじゃないか!!」

「いいのよ。デュハウント一体が一度に襲うことができる一人だもの。アナタの代わりに私が……いいえ、こんなことを言っては呪いになるわね」

 私も本当は取り憑かれた人間だった、彼には言えなかったけれど。そして私が使えるのは、「記憶を消す」こと。でも力を使うのは得意ではない。こんなに離れていては失敗するかもしれない。

 デュハウントが私の目に手をあてる。そう、二度目は目を抜かれるのだ、覚悟は出来ている。デュハウントはまるで慣れた作業のように、こんなにも簡単に私の目を……。声は我慢できる。だって、叫んだりなんてしたら、目の見えない彼は心配してしまうから。

 デュハウント一体は一度に一人しか襲えない、襲わない。あの影は、私の目を持ってずぶずぶと夜の闇の中へ消えていった。彼が私を探している。ようやく私を見つけた彼は、見えない目で私を見て、そして泣いてくれた、抱きしめてくれた。こんなのは呪いと一緒だ、このままじゃ、彼は笑って過ごせないだろう。だから……。ああ、彼が抱きしめてくれてよかった。ここまで近くにいれば、失敗することは無いだろう。

 

 そうして、私は彼の記憶を消した。

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