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第2章 2話​

 

 

 

 

 

 この旅も、きっと意味のあるものだ。全てに意味があるのだ。アタシがここにいることも。アタシがこれを書くことも。

 

 何度目かの旅。書いた本の数を数えれば、すぐに何度目か分かるだろうが、それを確認するのは面倒なので考えないでおく。

 アクシデントだって楽しむ、だって私は冒険家だから。旅は予想外のことばかりだ。今もこうしてアクシデントに巻き込まれている。

「ごめんな、この地図古かったみたいで、あの……道が、道が無い……」

 彼は道案内をかってくれたこの辺りに住む人。この人に頼んだ理由は、いい人そうだったから、それだけ。いや、実際にいい人だった。思っていることも言っていることも素直で「裏表がない」から。目の前にはもう整備された道は無い。ただの森が広がる。どうやら道を間違ったようだ。まあ、そんなのも旅の醍醐味だろう。

「いやいや、ここまで案内してくれて助かったよ。ありがとね」

「すまない……」

――――「案内のくせに地図を間違うなんて役立たずだ、そう思っているんだろうなあ……クソ……」

「そんなことないよ」

 思わず口に出てしまった。相手はぽかんとしている。

「え?」

「……あ、いや……な、なんでもないぞ!」

 うっかりしていた。とても不思議そうな顔をされてしまった。これはアタシのよくない癖だ。心の中を読めるから、勝手にそれを理解したつもりになってしまう。あまりこの力を使ってはいけない。できることなら使わないで過ごしたい。もっと言えば、こんな力なんていらない。

「ああ、ここまででいいよ。もう暗くなるだろうし、あんたは自分の街に帰った方がいい。アタシはもう少し歩いてみるよ」

 案内料として彼に手渡すが、彼は受け取らない。

「そうか、じゃあそうさせてもらうよ。こんな不十分な仕事だ、報酬はもらえないよ。気をつけてな、冒険家さん」

 彼は本当にいい奴だな。うん、根っからのいい奴だ。あんなにいい奴だと、うっかり誰かに騙されたりしないかと心配になる。

 

 アタシの勘は当たる。そう思って歩く。信じていれば良いこともある、だいたいなんとかなる。すると思っていたとおり、誰かが通ったと思われる道がでてきた。まあ、こんなのはアタシにとって森というより林だ、これくらいの獣道にはビクともしない。なんとか歩みを進めると、明かりが見えてきた。どうやら、ようやく目的の街に着いたようだ。今日はこの街に泊まろうと思う。街の大きさは、私の故郷と同じくらいだろうか、森を抜けたらこんなに綺麗な街が出てくるとは誰も思わないだろう。いや、本当はきちんとした道があったのかもしれない。

 

 何度旅に出ても、全てが思い通りになることなんて一つもない。予想のできるものなんて面白くないだろう。知らないことを知るために、アタシは見たことの無い景色、「ノアの方舟」を探して旅をする。アタシが「ノアの方舟」にこだわるのには理由がある。「ノアの方舟」って言うのはロマンだ。大昔の伝説。大洪水、それから生き延びた生き物達。巨大な「方舟」は本当にあったに違いない。それはとても大きいはずだ、何千、何万もの動物が入ることが出来る程のものだから。見つけた時にはきっと遺跡のようになっていて、そこには大昔の夢が、ロマンが詰まっているに違いないのだ。アタシの父親も、それを探して旅をしていた。小さい頃に一度だけ、それを探す旅に連れて行ってもらったことがある。あの時の景色は忘れない。あの時も探し求めている物は見つからなかったけれど、見たことのない景色を見た時、知らなかった世界を知った時の感動は忘れられない。初めて超えた山を、眺めた水平線を、きっと私は忘れないだろう。それをいつまで見られるかなんてことは、今は考えたくない。

 

 今日はとりあえず休みたい。明かりついた建物に入って、話を聞いてみることにする。

「少しいいか? この辺りに宿屋とかは無いかな?」

「ん? ああ、ここがそうだけど……看板見なかった?」

「看板…………ごめん、うっかりしていたようで」

「お姉さんは旅の人? 珍しいね、こんな所に」

「ああ、冒険家なんだ。探し物があってね、色んなところを歩いて回っているのさ!」

「そうかい、まあ今日はゆっくり休んでいきな」

「ありがとう」

 宿代を支払って中へ入る。案外普通の部屋だった。こういう場所にくると、故郷を思い出す。今回の旅は長いから、少し故郷が恋しくなっているようだ。街の皆は、酒場に行った時、本を売っている時、気さくに話しかけてくれるが、アタシが冒険家だと言うと、皆は嘘だと言って笑う。まあ、帰る頻度が高すぎるせいだろう。本当は、別に帰りたくて帰っている訳では無いのに、気が付いたら街にいる。あの影が住む街に。アタシの故郷に。今は旅の途中だ。まずは今日あったことを書き留めて置こう。眠りにつくのはその後だ。今日は星のない夜。星のない夜は、いつもより冷たい。まるで雪でも降りそうなくらいに。つい思い出したくない事まで思い出してしまうから、こんな夜は大嫌いだ。アタシは、窓の方に背を向けて眠る。毛布を深く被って、何も見なくて済むように。

 雪が降っている。

 空気は冷たい。空は真っ暗で星は無い。まるで星が零れて落ちてきているように、ひらひらとキラキラと白い欠片が降る。それを手に取ってみたくて、触れてみたくて外に出た。お守りは肌身離さず持つようにと言われたので、しっかり右手に握って行こう。外に出ると、もっと綺麗だ。思った通りずっと綺麗。遠くまでずっとこの光景が広がっている。ゆっくりと空から冷たい欠片が落ちてくる。右手をみると、手に触れて、手に持ったお守りに触れて、雪は溶けて消えていってしまう。星の無い真っ暗な夜空に雪だけが降る。ちらちらと降る雪の中で、くるくるとアタシは回る。まるでダンスをするかのように。あまり慣れないことをしたからだろうか、足と足が引っかかる。そのまま転んでしまい、お守りが右手から離れて飛んでいく。二回ほど跳ねて少し遠くへ行ってしまった。ああ、早く拾わなくては。拾おうと手を伸ばす。目の前には不自然な色。そこには真っ暗な影が落ちていた。ちょうど空と同じ色。真っ暗で光のない色。蠢く影。見たことのないもの。初めて見たそれに恐怖する。音が消える、光が消える。雪が降る静かな空気が一瞬で消えていった。自分の息をする音だけが頭に響く。その影が、アタシに向かって、アタシだけを見て近づいてくる。アタシの世界は黒く覆われた。幕が閉じたように、照明が消えたように、世界は暗転する。

 

 

「……ッ!」

 アタシはベッドの上にいた。息が上がっていて、額は汗でびっしょりだ。最悪の目覚め。怖い夢を見ていたような、何か嫌なことを思い出してしまったような気がする。……だから真っ暗な夜空は嫌いなんだ。窓からは白い陽が差していて、外はすっかり明るくなっている。ようやく朝が来た、何だか長い夜だった気がする。

 

 無計画に旅をするのも楽しいが、いつもそうではいけない。何をするにも情報収集は必要だ。しかしその前に、まず腹ごしらえをしようと思う。どこか、街の人がよく集まるところで食事をしたい。そうすれば、この街のことも、もしかしたら探しているものについて、何か情報収集が得られるかもしれない。荷物をさっさとまとめ、軽く挨拶をして宿を出た。店を探すのはあまり得意ではない。宿を出てすぐ、近くに良さそうな店があったので、朝食はここで食べようと思う。

「いらっしゃいませー‼」

 入った途端、元気な声で挨拶をされた。入ってくる人皆に思い切り挨拶をしている。陽気なお姉さんらしい。

「おはよう、何かおすすめある?」

「はい! こちらのチーズパイは如何でしょう?」

「朝から……?」

「ええ、この辺りでは定番の朝食ですね!」

「そうなんだ、じゃあそれで」

「はーい!」

 カウンターの空いている席に座る。すると周りにいた人達が話し掛けてきた。

「あまり見ない格好だな、アンタ。もしかして旅の人?」

「そうさ、冒険家なのさ」

「次は何処へ行くんだ?」

「ああ、次は少し海を越えるかもな。アタシは『ノアの方舟』を探しているんだ。どうやったら行けるか知ってる?」

「鉄道だな」

「鉄道」

「鉄道だろう」

 周りの人が口を合わせてそう言った。

「え、鉄道で行けるの?」

「ああ、簡単にな。と言うか、ここまでも鉄道で来たんだろう?」

「まあそうなんだけど……何となく途中で降りてしまって。そのままここに着いたんだけど、この先の目的地までは、鉄道では行けないのかなあ、なんて勝手に思っていたからさ」

「鉄道で一発さ。すぐだよ」

 なんだ、鉄道で行けるのか。何でもっと早くそれに気づかなかったのだろう。それならここまで遠回りをする必要はなかった気がする、が、それも旅の醍醐味なので文句はこの位で止めておこう。次に、この近くの駅まではどう行けばいいのか聞いてみた。

「そうさな、誰かついでに駅まで乗せてってやれよ」

「俺は駅に行く用事ねえな……」

「明日ならいいよ、オレ」

「本当⁉ 別に急いでないんだ、頼むよ!」

「ああ、いいぜ。明日またここに来な、乗せてってやるよ」

 やはり来てみるものだ。なんと駅まで乗せていってもらえることになった。今回はツイてる、近くまで行けるかもしれない。

 

 昼間は辺りを見て回った。足りないものを買い揃えたり、色々店を見て回ったり、観光気分で楽しんだ。折角の旅だから、明日目的地に着けばもう旅をすることも無いかもしれないから、アタシは思いっきり楽しんだ。

 

 日が暮れてからは、朝話した人達や昼間に仲良くなった人達と一緒に酒を飲んだ。酒場はいい情報収集の場だ。心を読もうと思わなければ、何とかなる。日が暮れてから、力を使ってはいけない。

「そうだ、この街ってどこにあるんだ?」

「どこって……ざっくりした聞き方だなあ。ここって言ってもな」

「うーん、あんたの目的地の『ノアの方舟』のほうが、おそらくあんたの故郷より近いよ。地図持ってないのか?」

「そうなんだ。地図は間違って案内してくれた人に渡してしまったのさ。あー、そうだ。鉄道を使ったらどのくらいで着くの?」

「まあ、そんなにかからないな。乗ればもう……いや、違うか」

 そう言って、彼は地図を出しながら説明してくれた。随分丁寧だ。後でその地図も貰えないだろうか。頼んでみよう。そういえば、今日は心を読まないで済んでいる。あんなもの、使わないに越したことは無い。

「そうだな、この山の近くにあるらしい、鉄道はそこまでいかない。この辺りの大きい街までだな。その後は……車でも難しいかも」

「そうなんだ。ここまで具体的な話を聞いたのは初めてだよ、ありがとう」

「なんで『ノアの方舟』を探しているんだ?」

「折角なら目的がある旅の方が面白いだろう? アタシの父親も冒険家だったんだ。いつか一緒に行こうな、なんて言っていたのに父親は冒険家をとっくに引退した、なんて言うんだ。だからアタシが先にそこへ行って、自慢でもしてやればまた、一緒に言ってくれるかな、なんておもってさ。ああ、明日ようやく目的地に着くんだね。明日が来るのが楽しみだよ」

「はは、それはよかったな。じゃあ早く寝ろよ」

「なんだよ、子供じゃあるまいし」

 みんなと別れて、昨日とは違う宿屋に泊まることにした。変えたのは気分ってだけ。とりあえず今日あったことを書き記してから眠る。今日はぐっすり眠れそうだ。

 

 翌朝、約束通り昨日と同じ場所へ行く。約束の相手は、そこに車で現れた。エンジンをふかせながら。

「よう、冒険家。準備はいいか?」

「うん、バッチリさ。よろしくね」

 彼は用意した車に乗せてくれた。

「うわあ、車か! 凄いな」

「だろ? この辺りは何も無いから車で走ったら楽しいかな、と思って」

「おじさんお金持ち?」

「まあ地主ってだけだな」

「すごいな! 駅まで頼むよ」

「ああ、まかせな」

 彼は車を走らせる。あっという間に景色が後ろへ飛んでいく。風が心地よい。

「……」

「おい、なんか言ったか?」

「街へ帰らなきゃ」

「……は? どうした、冒険家」

「…………え?」

「お前、今『街へ帰らなきゃ』って言っていたぞ」

「街へ?」

 今までにも何度か言われたことがあった。無意識にそんなことを口走っているとは怖い。そんなに帰りたいのなら、帰ればいいとまで言われたこともある。アタシにそんなつもりは無いのに。

「そんなつもりじゃないんだ。気にしないで」

「そうか、それならいいけど」

 駅に着くのはあっという間だった。あともう少しで「ノアの方舟」に着く。

 

 いや、あともう少しのはずだった。

 

 アタシは、気がついたら故郷の近くの駅にいた。あと少しで街へ着く。いつもの街に。何故? 目的地まであと少しだったはずだ。乗る鉄道を間違えた? そんな馬鹿な。何故アタシはここにいる?

「な、なあ。なんでアタシはここにいるんだ? 誰か教えてくれよ!」

 アタシは叫んだ。状況が理解できない。誰か。誰か。

「なんだよ姉さん、何を言っているんだ? 俺が乗った時にはもうあんなに騒ぎ立てていたじゃないか。あなたが言ったんだよ『街へ帰らせろ』って」

「そうさ、私達も同じ車両に乗っていたがね、あなた、『街へ帰らなきゃならない』、『早く帰してくれ、今すぐに』とか、そんなことばかり言っていたじゃないか。あんなに騒ぎ立てていたのに今更何を言っているんだ」

「……え?」

 そんなこと、言った記憶がこれっぽっちも無い。何を言っているんだろう。何を言われているんだ。

「迷惑を掛けられたこっちの身にもなって欲しいよ。折角の鉄道の旅だったっていうのに」

「そうさ、大変だったよ。こんな旅は初めてだ……」

「え、あ……ごめん、なさい……あ、アタシそんなつもりじゃ」

「さっさと街にでもなんでも帰ればいいだろう」

 

 

 

 アタシの旅は、あれが最後になった。一番目的地に、「ノアの方舟」に近かった。一番悔しかった。

 

 あれからまた少し目が見えなくなった。街からも、離れて遠くへ行くことが出来なくなった。行けるのはせいぜい隣の駅まで。それ以上は気が付くといつも光景。それか、あの最後の旅の時と同じように周りの人に責め立てられている。きっとこのままだと、いつか街から出られなくなるのではないだろうか。街の人があまり街から出ようとしないのは、その為なのだろうか。

 

 アタシは一体、どうすればよかったのだろう。

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