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第2章 4話​

 

 

 

 

 

 思いがけないことが起こる。それはいいこととは限らない。悪い事だとも。

 

 いつも勉強道具やら何からを抱えて数人で歩く子供達を見かけていた。楽しそうで、皆元気に挨拶をしてくれる。それが街の見慣れた光景の一つで、街の皆もそれを温かく見守っていた。それはルド先生の教室に通っている子供達で、皆明るく良い子達なのだ。しかし、最近は遊び行く子供達以外は見ていない。子供達以外にも、ルド先生も見掛けない気がする。彼のお気に入りの店でも、よく会う通りでも、その姿はどこにも無かった。彼のお気に入りの店、沢山の種類の紅茶の茶葉が並ぶ。店内は優しい匂いに包まれていて、とても落ち着く空間だ。この店主なら何か知っているかもしれない、そう思い尋ねてみる。

「あの、すみません。ルド先生を知りませんか?」

「はあ? あんた知らないのか? ルドはこの街から出ていったよ。もう何週間か、一月か前かな」

「え……? ……わかりました。ありがとうございます」

 先生がこの街から居なくなった? 出ていった、という言い方はとても引っかかる。引っ越したのかもしれない。あの人の性格から、何も言わずに居なくなるのは考え難い。街の人は、先生が居なくなったことを誰も不審がらないのか。何かがおかしい気がする。先生はボクにとっても恩師だ。教わった期間は短かった。教室が開かれた頃には、ボクはもうそこに通うような歳ではなかったからだ。何度か先生の手伝いに行ったり、顔を出したり、何かと関わる機会が多かった。その度に彼はよくしてくれたのだ。彼はとても面倒見のいい人だ。もしかして、何かあったのだろうか。彼がいないということは、今、教室で先生をしているのは誰になるのか。確か、代わりはいなかったはずだ。その時、見たこのとある顔を見つける。店内から話し掛けて呼び止めた。彼は、ルド先生の友人だったはず。彼なら、教室のことも知っているのではないかと思い質問してみた。

「……あの、こんにちは。すみません、少し聞きたいことが」

「おー! ヘンリクか、なんだ?」

「あの……教室はいまどうなっているのですか?」

「ああ、今は休みってことになっている」

「そうなんですか、大変ですね」

「そうなんだよ、子供達も楽しみにしているんだがな。皆ずっと再開されるのを待っているんだよ。それでな、俺もこんな風に声を掛けて回っているんだ」

「こんな風に、とは?」

「なあヘンリク、一つ頼まれてくれないか?お前、代わりに先生やってくれよ。お前勉強得意だったろう?」

「ああ、そういう事ですか……え、いや、そこまで得意ではありませんよ。でも、うーん。そうですね、どうしよう……」

「頼むぜヘンリク、このとおり!」

「え? ええ、そこまで言うなら。次の先生が見つかるまでのつなぎで、少しの間ならいいですよ」ボクはそう言って引き受けてしまった。

 引き受けたはいいが、返事をしようとした時、何故か彼女の面影が脳裏をよぎった。ボクはきっと、彼女を探さなくてはならない。いや、探すべきなのだろう。何故かそんな気がした。何故、彼女を探さなければならないと思ったのかは分からない。彼女と最後に会ったのはあの日、ボクが奴らに襲われそうになった日。彼女はボクを庇ってくれた。あれ以来、あの日以来、彼女の姿は一度も見ていない。あれから、もう二年ほど経つ。彼女はボクの記憶を消したようだ。彼女について、詳しいことは分からない。時々自分の、知らない言葉がスッと出てくる時がある。彼女に教えてもらったと、無意識で自分が付け足していることに気づく。思い出せないが、確かに、どこかに彼女の記憶はある。彼女があの日ボクを庇ってくれたということ、その事実しかボクは正確に知らない。正しく言うと、そのことを、あの時近くで見ていた子供が教えてくれた。彼女に助けられた、と。その時、怖くて街にはすぐに帰れなかった。振り返って見た時、その光景を見てしまったのだと教えてくれた。

 

 頼まれたからには、しっかりやるしかない。

 しかし、先生というのは思ったよりずっと難しい。改めて先生の偉大さを感じる。今までは手伝い程度だった。聞かれたら質問に答えたりするくらいで、あとはニコニコしながら後ろで立っていればよかった。手伝いの時は一日に何度かあるうちの一回だけを手伝っていたが、今はそうはいかない。教室は一日に一度では無いのだ。教室にくる子供達は自分がいた頃よりもずっと増えていて、参加する子供たちの人数と時間がいくつかに分けられている。その決まった時間に、だいたい同じ人数ずつの子供達が来るのだ。ボク一人では大変だと訴えると、先生役としてもう一人来た。交代制にしてもらってからは、いくらか楽になったと思う。問題なのは子供達に思ったより懐かれてしまったこと。何かを教えたりしている間は、子供達は真面目に取り合ってくれる。しかしその合間や終わったあとには、こう、両方から腕を引っ張られたり、抱きつかれたり、どう対処していいのか分からない。皆、ボクの目が悪いことを分かってくれていて、一日の最後には一緒に帰ったりもしてくれる。これではどっちが面倒を見られているか分からない。こんなに良い子達ばかりなのは、きっとこの子達をずっと教えていた彼の人柄が影響しているのだろう。

 

 先生をやってしばらく経った。二、三ヶ月だろうか。子供達の扱いにも、今の生活にも、眼鏡にも慣れた。眼鏡は、デュハウントに目を奪われたこととその能力の関係で、ボクの視力はほとんどないが、眼鏡を掛ければ日常生活には差し支えないことがわかったので、常時掛けることにしている。

 しばらく休んでいた子が一人いたが、彼女も最近は来てくれるようになった。名前はスイちゃん。歳は十二だっただろうか。そう言えばこの間、彼女に変わったことを聞かれた。

 

 ルド先生は、本当はどこに行ったのか、と。

 

 初めは彼女の言葉の意味がわからなかった。先生は引っ越した。もうここには居ない。彼女はそれに納得していない、何か「引っ掛かっている」のだ。彼女の表情から、その様子から、彼女は何かを知っていること、何かを掴みかけていることが分かった。

「どうしてボクにそれを聞いたのですか? どうして君はそう思ったのでしょう?」

「先生……は変だと思わないの? ルド先生って、何も言わないで居なくなると思う?」

「それは……」

「どうして街の皆は探そうともしないの? なんで皆いつも笑っているの?」

「……」

「この街はどこか変だよ、皆の笑顔が変。先生はそう思わないの?」

 彼女の言葉は、小さなナイフのようにボクに突き刺さる。痛い、やめてほしい。投げつけられるものは鋭く、深く、今まで考えようとしていなかったことを浮き彫りにされていく感覚だ。いや、違う。何もおかしくない。ボク達の街はずっとこうだ。昔も、これから先もずっと変わらない……はずなんだ。何故、ボクにそんなことを言うのか。ボクはもう、一度彼女の方を見た。彼女は今にも零れてしまいそうなほど涙を目にいっぱいにためて、何かを両手で握りしめながらボクを見つめていた。そうか、ずっと誰にも言えなかったことを彼女はボクに言ってくれたのか。

「スイちゃん、話してくれてありがとう。ボクも、本当は少しだけ、君の言うように周りに何か不自然さを感じていました。君は……何かを知っているの?」

 彼女は小さく頷いた。それから少し考え込む。彼女は、何度も、こちらを見て、何かを言いかけて言葉を飲み込み、俯いた。ボクは彼女が何かを伝えようとしているのだと思って、それを待った。すると、彼女はゆっくり、言葉を探しながら話してくれた。

「私……ね、ルド先生がいなくなったって聞いた時、嘘だって思ったの。でも皆何も言わなかった。ずっと笑っていた。それが気持ち悪くなって、本当のことは自分で見て確認しようと思ったの。それでね、ルド先生のお部屋に入れてもらったの。本当に先生はいなかった。でもね、そのお部屋変だったんだ。寝室の床だけが新品みたいになっていて、ベッドの下にこれが落ちていたの」

 彼女はそう言って半球状の石のようなものを見せてくれた。

「……それは?」

「これは……瑪瑙石だよ。ルド先生のお守りと一緒……なの」

 それは不自然に割れた石。割れたというより「切れた」と言った方が正しいと感じる。

「それ、は…………そうか、教えてくれてありがとう」

 彼女はそのことについて話すのをやめた。もうこれ以上、何も言わなかった。ボクもこれ以上何かを聞いてはいけないと思った。あれはあまりに不自然だ。あの話も。ただ、それが嘘だとは思えなかった。彼女のその表情から、話し方から、持っていた物から。

「……もう今日は教室も終わりだから、スイちゃんも一緒に帰りましょう」

 彼女は頷いて、ボクの横をぴったりと離れないように歩いていた。ボクが探すべきは、知るべきは、いなくなった彼女のことだけではないのかもしれない。

 短く少し強い風が吹く。思わず目を閉じてしまうくらいの風が。目を開けた時、ふわっと、あたたかな緑の香りがした。

 

 何かを知ることは、怖いと思う。先日知り合った青年も似たようなことを言っていた。

 赤髪の彼の名前はエトワルト。彼は目に包帯を巻いている。おそらく、ボクより歳上だと思う。彼は、変わったことを言う。彼には見えないものが見えているらしい。

「人の代わりに街を行き交うのはアイツら、街全体もアイツらの影で出来ている。街の形は歪だ、空気だって全部、いや、この在り方がおかしいんだ」

 彼はそう言った。ボクには見えないが、彼の言葉を信じない理由が無かった。その理由の一つは、彼の立ち居振る舞いの不自然さ。彼は目に包帯を巻いているのに、まるで見えているかのように振る舞う。街を歩くのも物にはぶつからないし、コーヒーを淹れてくれた時だってとてもスムーズだった。彼には見えているのだ。それが、今ボクが見ているものとは違うだけ。それを目の当たりにして、この言葉を信じないと言いきれる方が変だろう。

 この短期間に、二人から「この街はおかしい」と言われた。ボクは、ボク達の街はずっとこうだ。昔も、これから先もずっと変わらない、そう思っていた。いや、これがおそらくおかしいのだ。この思い込みから、この考えからおそらく間違っている。ボクはいなくなった二人のこと、この街のことを調べることにした。それはきっと、ボク一人では出来ないことだろう。その為には彼の協力が必要だ。

 まずは彼に会いに行く。彼は「約束をすること」が出来ないと話していたので、直接家に向かうということになっていた。

「ヘンリクです。エトさんいらっしゃいますか」

「あ? ああ、いるけど」

「すみません、手伝って欲しくて来ました」

 ボクはお守りをドアノブに掛けてそう言った。

「……聞いたことのある声だと思ったら、見える奴……君か。入っていいよ」

 ボクは家に入れてもらった。お守りをしっかり手に取って中へ入る。彼と言葉を交わす時、この家にいる間はお守りを外しておこうと思う。鉱石が使われているこの飾りは、お守りといわれている。これは小さい頃から「肌身離さず持つように」と言われているが、その理由はわからなかった。彼によると、これを持っていると、デュハウントはその人間の居場所が分からなくなるそうだ。今、それを外している理由は、彼は人の姿が見えないそうだが、お守りを持っていない時には、その姿が見えるという。せっかく話をしに来たのだから、面と向かって、顔を合わせて話をした方がいい。ボクはそう思ってお守りを外すことにした。

「手伝って欲しいことって何? というか外していて大丈夫?」

「ええ、大丈夫です。その代わり日没前には帰らせていただきますね。調べ物を手伝っていただきたいのです。この街について、『居なくなった人』について。誰かこの街やデュハウントに詳しい人を知りませんか?」

「いや、オレは知らないな。その『居なくなった人』って言うのは何?」

「ボクの周りに二人いるのです」

「待って、二人もいるの?」

「はい。一人は前に話した大切な人、彼女の名前はアンニカといいます。ボクが彼女について知っていることは、その名前と、彼女も目を奪われた一人であること、持つ力は『記憶を消す』こと、最後に会ったのは二年前だということ、だけ。もう一人は恩師です。彼の名前はルートヘル、周りにはルド先生と呼ばれていました。ボクは今、彼の代わりに先生役をしています。彼がいなくなったのはおそらく三ヶ月……もしくはそれより前だと思います」

「何故その期間が分かるんだ?」

「彼は体調を崩して療養中だと言われ、教職を休んでいました。それが今から三ヶ月前です。……ボクが代理で先生をする前なので。休んでいた期間は二週間、それ以降、彼は療養中ではなく街の人は『引っ越した』と言うようになりました」

「引っ越した……誰かその様子を見たからそう言うんじゃないのか、手伝った人がいるとか」

「いえ、彼がいなくなった後に部屋を片付けたのは、彼の友達だそうです。引越しは、誰も手伝っていないし挨拶もされていないそうです。しかも、誰もそれを不自然に思わない。そのことについて詳しく知ろうとした子が居ました。彼女はルド先生の部屋にも行ったそうですが誰もいなかったと。その部屋に、お守りに使われていた石の欠片が落ちていたと、拾ってきた物を見せてくれました」

「お守りに使われていた石が?」

「そうらしいです。ボクも前に持っていたお守りは壊れました。今持っているものはアンニカの物だそうです。エトさんのお守りは?」

「壊れた……? 首飾りだったが……よくつけ忘れていて、見えなくなってからはどこにあるか分からないんだ。じゃあもしかしてオレのも……ヘンリク、探してくれるか? 散らかして構わないから」

「ええ、いいですよ」

 彼はおおよそのものは影や輪郭で捉えることが出来ていたようだが、「お守り」は見えていないようだった。首飾りらしきものを彼は身につけていない。ということはこの家のどこかにあるのだろう。棚の上に置かれている何かを見つけた。おそらくこれが彼の言うお守りだろうか。首飾りはこれしか見当たらない。しかも思っていたよりも近くにあった。

「これ、でしょうか」

「ごめん、何も見えない」

 彼のところまで持って行き、触れてもらった。

「そうだ、これだ。どこにあったの?」

「あの棚の上に」

「そうか、お守り自体が見えないのか……石は? どうなっている?」

「石は、ひび割れて、砕けて割れたようになっていますね。ボクの持っていたものもこんな感じに壊れていました」

「そうなのか」

 石は壊れる。襲われた人間の持っていたお守りがそうであるように。きっとルド先生も奴ら襲われたのだろう。

「ということは、先生はもしかしたら本当にここから居なくなっただけなのかも知れませんね」

 彼女だってそうだ。どこかにいるかもしれない。彼、エトワルトが無事でここにいるように、彼らもきっと……。

「……いや、もしかしたら、本当に死んでいるのかもしれない。という可能性もある」

「…………そう……です、ね」

「でも、誰も死体を見ていないのだからなんとも言えないな。この街はそこまで大きくない、仮に誰かの葬儀をしていたら分かるだろう。ここ半月ほどそれは無かった」

 着実になにかに近づいていく。これ以上何かを知ってしまうのはいけない、そんな気がした。それを感じているのは、おそらくボクだけじゃない。目の前にいる彼の言葉にも余裕が無くなっていた。配慮など少しもなくストレートな言葉。言葉を選んでいる余裕などないのだろう。

「とりあえず、何かを知っていそうな人を当たったほうがいいな」

「明日以降でどうでしょう。あの、今日は……もう、帰りますね」

「ああ、いつでもいいぜ」

「では……」

 

 ボク彼の家を後にする。帰り道、お守りを握りしめて歩いた。目の前の道を真っ直ぐに歩く。彼女に近付けるのは、真実を知ることは、ボクがずっとしたかったことなのかもしれない。けれど、その先には何があるのだろうか。

 

 もうきっと、道を引き返すことは出来ない。

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