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第2章 6話​

 

 

 

 

 

 街は何も無い。いつも通り、何も。

 

 もし、誰かが消えたとしたら。それが貴方の知っている誰かだとしたら、貴方は当然気が付くだろう。それが「普通」なのだ。しかし、この街にはその「普通」が無い。そして、それに誰も気が付かない。

 私はこの街に住んでいる。両親とはあまりうまくいかなかったので、家を出て一人暮らしをしている。この街に住むために、私はおかしいフリをする。気が違っているような、そんなフリを。あれに知られてはならない。みつかってはいけない。見えない何かに、知らない何かに気取られぬように私は私を偽る。手に持った花に話を掛け、見えない、いや、居るはずのない妖精を呼ぶ。今日もそんなフリをして街を歩く私の耳に、聞きなれない声が飛び込んできた。

「あの、すみません。『アンニカ』という名前の女性を探しているのですが、どこに住んでいる……とか、何でもいいのです、何か知りませんか?」

「ごめんなさい、知らないです」

「ああ、そうですか……ありがとうございます。あ、すみません、『アンニカ』という名前の……」

「ああ、何年か前にはこの辺りに居たがな、もう居ないよ。随分前の話だ、もうとっくに引っ越したんじゃないのかね。用事があるので失礼するよ」

「そう……ですか、ありがとう。……あの、すみません」

「ごめんなさい、急いでいるの」

 彼は誰か人を探しているようだった。待ち合わせだろうか。いや、それにしては何か鬼気迫るものを感じる。まるで、消えた人を探しているかのような……。彼の質問に、周りの人は、一人を除いて、知らない、見掛けていない、などと答えていた。私も、もちろんその名前の女性は知らない。基本的に人の名前は覚えないようにしているのもあって、聞いた覚えもない名前なのは確かだった。

 しかし、私は、それに見覚えがあった。

 その状況に見覚えがあった。その彼の姿に、いつかの自分を重ねる。大切な友達が居なくなったあの日、誰もが同じように、知らない、と言ったこと。彼女の母親でさえ、全く気にしない。街の違和感が、不気味さが、色がついたように一気に見えるようになった感覚。誰に聞いても誰も知らないという。まるで、誰もがその人のことをすっかり忘れてしまったかのように。あの時の私、あの時の私が体験したこと。それは、目の前の彼の状況と酷似しているように思えた。この街で人探しなんて、「見つかるはずがない」のに。

 彼は私にも声を掛けてきた。いかにも真面目そうな青年。よく見ると左右の瞳の色が違うようだった。

「すみません、少しいいですか? 今、人を探しているんです。『アンニカ』と言う……」

「おい、リリヤに声を掛けるのは辞めておきなよ。時間の無駄さ」

「そうよ、その子頭が少し変なのよ。この辺りでは有名だわ」

 彼の声を遮って、周りにいた人が言った。私が何かを答えるまでもない。皆、私のことを正しく理解している。「リリヤは頭のオカシイ子」、それで良いのだ。そうでなくてはならない。

「……『アンニカ』という女性を探しているのですが」

「…………」

 驚いた。会話が通じないのだと、周りの人が丁寧に教えてくれているというのに。大抵の人は、周りの人のそれを聞いて諦める。だというのに、彼は話を続けた。私も、いつも通り、接する。

「お花の妖精さんはね、いつも私に話し掛けてくれるのよ」

「そうなのですか」

「お花を育てるとね……」

 周りにいた人達は、私を見て、私の話す言葉を聞いて、呆れたような顔をしながら去っていった。いつも通りオカシイ奴だと、そう言いながら去って行く。気が付くと、もう辺りには誰も居なかった。いるのは私と見知らぬ彼。私はいつも通り振る舞い続ける。すると、彼がそれを遮って何か言おうとした。

「……あの」

「…………ああ、謝ることは二つあるわ。ごめんなさい、わざとじゃないのよ。いや、わざとだれけど。もう一つ、ごめんなさい。私、その『アンニカ』という名前は聞いたことがないわ」

「⁉ ……え、ええと……」

「そんなに驚かないでよ、お兄さん。何も変わったことじゃ無いわ、ただ事情があるだけ。私が普通に話したのにも理由があるわ。私も聞きたいのだけれどいいかしら」

「ああ、はい。何でしょう」

「お兄さんの探しているその人は、この街にいて居なくなった人?」

「そうです。いなくなったんです。いいえ、正しく言えば……いるかいないかさえボクには分からない。ボクは彼女のことをほとんど知らないのです」

「へえ、変わっているのね。知らない人を探しているの? この街で人探しなんて……」

「彼女は、ボクにとって大切な人だった。ボクが彼女について知っていることは、その名前と、彼女も目を奪われた一人であること、持つ力は『記憶を消す』こと、最後に会ったのは二年前だということ、だけです。あとは……歌を歌うのが好きだったとか」

「歌……?」

 持つ力、とは何なのか。唯一分からないことはそれだけ。歌、というのは何か心当たりがある。だがそれを、今話すべきではないと思った。何かを深く知ってしまうのは良くない。きっと、深く知ってしまうと、この人まで消えてしまうだろう。

「はい、歌です。なにか心当たりが?」

「……いいえ、知らないわ。ごめんなさい。でも……人を探すのは」

「あなたは何かを知っているのですか? いいえ、知っているのですよね? 教えてもらえませんか? この街のこと、あなたの知っていること、何か……」

「知らないわ。それに、もし知っていても言わない。お兄さん、人を探すのはいいけれど、それ以外の事は調べても知ることも、考えることも、すべてやめた方がいいわよ。この街にいたいのなら尚更やめたほうがいい。今すぐに、全て忘れて、全てやめるの」

「待って、もう少し話を……」

「ごめんなさい、お花が待っているの。帰らなくちゃ」

 

 名前も知らない人に、よく分からない忠告をして去る。普通にしていても、オカシイ振りをしていても、どちらにしても変なのかも知れない。きっと、私が彼に今更何かを言ったところで、もう遅いだろう。あの人は、更に何かを知ってしまうかも知れない。

 彼には心当たりがないと言ったが、歌が好きな人、というのには覚えがあった。いつもその前を通ると、綺麗な歌声が聴こえてくる家があった。聴こえていないつもりなのだろうが、ばっちり窓が開いている。皆それを、何だか微笑ましく思い、楽しみにしている人もいた。きっと家主は、楽しく歌を歌いながら家事でもしていたのだろう。そういえば、もうずっとその歌声を聴いていない。彼が探していた女性は、もしかするとその人のことなのではないだろうか。私はそう思っていた。その家の場所なら覚えている。気が付くと私は、その家の前にいた。

 話したこともない人の家を尋ねるなんて初めてだ。とりあえずノックをしてみる。

「こんにちは、誰かいませんか」

 部屋からは何も返ってこない。生活感のない家。外装も暫く手入れがされていないように感じた。その時、ふと、もしかしてドアが開くのではないか、と思った。そっとドアを引く。ゆっくりと軋む音を立てて、ドアが開いた。入っても良いだろうか? いや、ここまでして引き下がるわけにもいかない。しかし、このまま入るにしても、もし誰かに見られていたら不審がられるだろう。そうだ、知り合いのように振る舞えばいいのだ。

「おーい、お姉ちゃんいないの? 入っちゃうよ? ……お邪魔しまぁす」

 部屋に入ることに問題はなかった。

 多少の罪悪感を覚えながら、少し部屋を物色する。本当に、ここに人は居ないようだ。部屋の中も、ずっと放置されていたようになっている。物には埃が積もり、観葉植物は枯れていた。ここに住んでいた彼女は、きっと居なくなったのだ。居なくなった私の友達は、何かを知ってしまって、その後にその行方が分からなくなった。きっとこの部屋に住んでいた女性も、何かを知っていたのだろう。私はそれを知りたい。この街について、「デュハウント」について。

「あれ?」

 机の引き出しの中で、一つだけ、鍵のかかったものを見つけた。こういう所に隠すものは、日記や大切な手紙くらいだろう。そして、日記というのはプライバシーの塊であるが、その分、重要な情報源であるのだ。それを見てしまうのは気が引ける。しかし、その日記を見るためには、まず鍵を探さなければならない。やはり女性の部屋だ、洋服やらアクセサリーやら、綺麗に整理されて丁寧にしまわれている。この飾り方は素敵だな、私もお手本にしよう。耳飾りやネックレスなど、控えめにキラキラと光る綺麗なアクセサリーの中で、一つだけ何か違うものが混ざっていた。一見するとネックレスだが……これは鍵のモチーフのものだろうか。頭は小さなコインのようで、そこには羽根のような模様のレリーフが掘られている。それに細い革紐が通されただけのもの。よく見ると溝や凹凸がある。これは、モチーフというより、これは本物の鍵だ。引き出しの鍵かもしれない。先程の引き出しの鍵穴に差し込んで回す。

「カチ」

 鍵が開く。引き出しを引くと、中には思っていた通り日記帳が出てきた。

「ごめんなさい、勝手に見させてもらうわ」

 一言謝ってから、私はその日記帳を開いた。最初のページから、それは日記帳ではないことが分かった。研究のメモのような、情報がぎっしりと詰まっているもの。その内容は「デュハウント」のこと。この街のこと。

「待って、これって……」

 そこには、私の知りたいことが書かれていた。特に目を引いたのは、居なくなった人のこと。

 

 ――影に飲み込まれた人間に対し、周りの人は、その人間が失踪したように思うか、その存在ごと忘れてしまうかのどちらかである場合が多い。そのため、街の人間が疑問をもつことはほとんどない。――

 

 やはりそうなのだ。居なくなった人は「この街から忘れ去られる」ことになっている。とりあえず最後のページまで、パラパラと捲る。最後のページには、違う文字でこう書かれていた。

「これは、私の父が書いたものだ。私はこれを『デュハウントの手記』と呼んでいる。ここに書かれていることは、書いた本人である父と、読んだ私しか知らない。誰にも知られてはならないが、このままでもいけないと思う。――――誰かがこれを見つけてくれることを祈ります。どうかこれ以上犠牲者が出ませんように」

 知ってはいけないこと、この世界には必ずある。私はそれを知りたい。私はこれを持ち帰ることにした。

 

 

 ここには全てが書かれているように思えた。言い伝えのことも。

 

――「名前を呼んではいけないことについて日が暮れた後、デュハウントという名前を口に出してはいけない。名前を呼ぶことは、自分がここにいると教えるようなものである。もし呼んでしまった時には、奴はすぐ、その人間の目の前に現れるだろう。――

 

 言い伝えは、夜に名前を呼んではいけない、お守りは肌身離さず持つように、その程度のもの。理由までは誰も知らない。お守りについての記述は、これだろうか。

 

――「鉱石についてデュハウントを寄せ付けないためには、鉱石が有効である。加工されたものでも良い。欠けのない鉱石しか効果が無い。鉱石の種類はどれでも問題は無い。鉱石を持っている場合、デュハウントはその人間を感知できない。――

 

 読んでいて、疑問が湧いた。お守りを持っていたとしても、名前を呼べば現れるのだろうか。現れたとしても、お守りを持っていれば大丈夫なのだろうか。

「そうだ、やってみればいいんだ」

 念のため、お守りはもう一つ用意しておこう。欠けのない鉱石が使われたものならば大丈夫だろう。決行は今夜。もし失敗したとしても、私が居なくたって誰も困らない。

 

 

 辺りはすっかり暗くなった。夜の空気は冷たい。街外れの小さな広場に私は居た。住宅街からは離れていて、近くに家は無い。走っていけば家が数件ある程度の場所。ここなら、もし何かあっても叫べば誰かが駆けつけてくれるかもしれない。もし何か危害を加えるようなことをされても、この距離ならば近くの人が逃げるのには充分だろう。

「さあ、どうなるのかしら。私……。ああ、ヘイディ、貴女は何を知ってしまったの? 私、私は……」

 私は後悔している。居なくなった友達の為に、何も出来なかったから。きっと彼女は、こんなことを望んではいないと思う。私は私の勝手で、彼女の知ったことを知ろうと、何かに近付こうとしている。念のため用意したお守りは二つ、一つはいつもの私のもの。どちらもブレスレットのようなアクセサリーのような形。私が元々持っていたものは黄色の鉱石でできたこのお守り。新しく用意したもう一つは淡いパステルカラーの鉱石のお守り。一つは近くに置き、もう一つはしっかり握る。そして、私は名前を呼ぶ。

「教えてちょうだい、知りたいのよ。街のことを。『デュハウント』のことを」

 バキン、と手元から音がした。手元にあったのは私のお守り。黄色の鉱石は、刃物で切られたかのように綺麗に割れていた。

「……嘘、でしょ?」

 名前を呼んだだけなのに、お守りは一瞬でダメになった。石が「切れる」なんて初めて見た。夜の不気味さをこねて固めたように、辺りの影を集めて、目の前に揺れる何かが現れる。ゆっくりと立ち上がったそれは、目がないのに私をしっかりと見つめて離さない。そう感じた。本当に現れるなんて。急に自覚した。私は何をやっているのか。逃れられない恐怖、腰が抜けてしまって、膝が震えていて、立とうにも立てない。逃げられない。手が震える。黄色の鉱石のお守りは、もうどこかに落としてしまった。私は死ぬのだろうか? このままだとそうなるかもしれない。怖い、こわい怖い怖い。こわい。しにたくない。死にたくな――――――

 

 ぐちゃり、という音。

 何の音? クチャ……?

頭に響く音、それから、何かを思い切り引きちぎるような。

 

「あぁああ、あああああっ‼」

 自分の叫び声で気が付く。その化物の手は私の左眼にあった。待って、何が起こったのか。私は何をされているのか。

 

 目を奪うってこういうことだったんだ。そうか、知らなかった。知らなかったことを知れてよかったよ。そうだ。あ、あれ。目を奪うのは、取り憑かれた人間だけなのでは無かっただろうか。なぜわたしがこんなめにあうんだろう。あ、そうか。私が名前を呼んだのだ。いたい、痛い。いたい? いや、きっと痛いのだろう。言葉にならない、もう何か分からない。何が起こっているのか。

 

 ああ、そうか。私は目を抉り取られているのだ。

 

 このままでは死ぬ。きっと死ぬ。片目だけでこれなのだ。もう片方も、なんて言われたらきっと耐えきれない。そうだ、私はお守りをもう一つ持っていた。確かこの辺に置いた。左手で血が流れる左眼を押さえて、右手をつかい手探りでそのお守りを探す。後ろの方に手を伸ばしたとき、何かに触れた。それを握る。それは用意したお守りだった。目の前にいた化物は、フラフラと辺りを見回す。まるで獲物を見失ったかのように。そうしてゆっくり、あたりの影に溶けるようにしてその化物は消えていった。

「は、はは……ふふふ、何これ。こんなの……」

 こんな化物が、すぐ近くに住んでいるなんて。この街は何なのか。

 

「お、おい! あそこに女の子がいるぞ!」

「叫び声が聞こえたと思ったら……うわああ⁉ だ、誰か医者を呼んでこい! 怪我をしているぞ!」

「おい! 大丈夫か!」

 バラバラと足音が近付いてくる。

「お、おい……どうしたんだ、その目」

「……あの……化物に持っていかれたのよ」

「ば、化物だって? な、何を言っているんだ?」

「知っているでしょう? あの『何か』に襲われたのよ!」

「何を言っているのか分からないよ。あの化物は子供を襲うが危害を加えるようなことはしないんじゃないのか?」

「あ、ああ! この子、リリヤじゃないか! 変なことばかり言って……。お前……まさか、自分でやったんじゃないのか? 気が違っているんだよこの子は」

 こんな時にまで、そんなことを言われるなんて。いや、手当をしてもらえるのならもうなんでもいいか。

 

 

 

 私は思う。そうだ、私は正しかった。知ってはいけないものが、知らない方が良いことは絶対にある。

 ああ、本当に知ってはいけなかった。この街には何も無い。逃げ場も、何も。

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