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第3章 5話​

 

 

 

 

 出口のない迷路。二度と開かない箱。きっとそういう類いのものと同じ、そんな気がする。

 これに名前を付けるとしたら――。

 

「……なあ。ヘンリクが言っていたんだ。君、目を怪我しているんだろう。その怪我はどうしたんだ?」

 

 彼の声に、私は意識を引き戻される。そうだ、私はなぜか彼らに拾われ、家に招かれた上に怪我の手当てまでしてもらったのだった。考え事をするとつい夢中になってしまって、周りが見えなくなってしまう。質問をされたからには答えないと。そう思って顔をあげる。向かいに座る男の人は、私へ顔を向けていた。会話をしているのだから当たり前だと思うだろう。だが、そうではない。彼は見えないはずの目で私を見ているようだった。

 彼の言動も、行動も、全て不思議だと思った。その顔には両目に包帯が巻かれている。それなのに、彼の振る舞いは私が見えているようだった。その怪我はどうしたのかと聞いてきた彼のほうが、見るからに私よりもひどい怪我をしているのに。

 

「特に深い理由はないわ」

 

私の返した言葉に、彼は困った顔をした。そういえば、怪我人は彼以外にもう一人いた気がする。外で彼らと出会った時、ぐったりして動かない男の子が他の人に抱えられていた。あの男の子は、まだ奥で寝かされているまま起き上がってこないらしい。男の子と言っても、きっと私と同じくらいの歳だと思う。

 私に質問をしてきた彼の声はとても落ち着いていた。だが、それとは別に突き放すような言い方をされているように感じた。私は、それを不快に思ってしまって、彼の質問に答えたくないとまで思ってしまった。私の記憶違いでなければ、彼は初対面の私に対して「他人が嫌いなのか」ととんでもなく攻撃的な言葉を投げてきた張本人であるはずだ。

 

 けれども、意地を張り続けるのは子供のようで恥ずかしくなってきたので、わがままを通すのはこのくらいにしておいて、私は素直に答えることにした。

 怪我をしたことに、大して深い意味はない。

 たとえるなら、目の前にあった少し大きめの水溜りを、気持ち程度の助走で飛び越えようとしたところ、飛び越えることは出来たのに着地を誤って水溜りに手をついてしまった。私にとっては、怪我なんてその程度のものだった。結果的に、片目を代償にしたけれど、得られたものは大きかった。引き合いにだした水溜り、それを飛び越えた達成感なんて比じゃない。それこそ比べるのは間違っている。

私がずっと探しているもの。それは、この街の言い伝えにある「デュハウント」という影の化物。それが本当に存在することを証明するために、私は自ら傷を負った。被害を被ったのは私一人なのだから、この件に関して誰かに咎められるようなことはない。私はこの目で見た。あの化物が存在するのは事実だ。あれが何なのか。私はどうするべきなのか。それは全て分かった。私は真実を知りたい、そして彼女に謝りたいだけ。全部私が終わらせて、胸を張って、彼女に謝るの。

 私が手に入れた手帳には全てが記されていたし、私は自らの体験からも答えを得た。

 

 しかし、最近どうも調子がおかしい。怪我をしてからだろうか、時々変な感覚に襲われる。たまに襲われるこの感覚に対して抱くものは、恐れや怒りではなく嫌悪。

 それがいつやってくるのかは読めない。食べすぎたからお腹が痛いとか、天気が悪いから頭痛がするだとかそういうものとは違う。理由も原因も全部わからない。今が会話の途中でも、知らない人の家でお世話になっているときでも。いつであろうが、何をしていようがおかまいなしということらしい。時と場所を選んではくれない。

 今日もまた、私はそれにのまれていく。

 吐き気はしない。でも気持ちが悪い。からだの前面である腹側の方はあたたかくて、反対に背中側の方は冷たい気がする。あたたかい方にも冷たい方にもどうしてそう感じるのか心当たりはない。わかるのは、からだを後方へ引かれていることと、辺りがだんだん暗くつめたくなっていること。振り向けない私は、後ろを知ることができない。ただ何も出来ず、静かに引きずり込まれていく。不思議で不快な感覚は私を支配する。感覚を支配された私には何も分からない。どっちが前で、どっちが後ろだったかも。私はどこにいたのか、何をしようとしていたのか、私が何だったのかさえ。全部がとけてなくなっていく。

 

「――理由を聞くことは大事なことですか? どうしてそうこだわるんです?」

「目に怪我を負ったオレと彼女、目を奪う例の影の化物。オレは無関係じゃないと思う。そうじゃなかったら――」

 

 何だか酷く頭が重い。

 私が黙り込んでいると、彼らは彼らだけで話し始めた。静かな声で何かを言い合う彼ら。その内容は、何だかひどく難しくて、私には少しも理解できなかった。 

 もう私には何もわからない。わからない、ということがわかるだけ。

 

「なあ、もう一つ聞いていいか? 目を怪我したということは、君があの影に襲われたのは二度目だろう? 一度目に襲われたあと、何か変わったことはなかったか? 君の周りで……ああ、そうだ。例えば、何か普通とは違うことができるようになったとか――」

「に……?」

 

 その時、何か本のようなものが落ちた。あれは多分私の手帳だと思う。私はそれを拾って、中を開いて見た。エトワルトと言っていた人は何かまだ話しているけれど、何を聞かれているのか、何を答えればいいのか、わからない。困った時にはどうするべきだったっけ。手帳の文字をたどってみる。きっと何か手掛かりが書かれている。よくわからないけれど、そんな気がした。

 この手帳は日記らしい。この文字は数字、それは分かる。だから多分、これは日記だ。私が紙をめくっていると、彼らはまた私に何かを言っていた。頑張って聞いてみると、「影に襲われた」とか「怪我」だとか、そう言ったことを何度も言っているようだ。それ以外の言葉は、何故か聞き取れない。手帳の文字をたどっても、目が滑って文字が理解できなかった。

 紙のふちをはじくようにめくっていると、流れを切るようにあるページが開かれた。そこには栞が挟まれていて、きっと何か重要なことが書いてあるのだと思った。文字をたどるばかりでは、意味をくみ取ることが出来ない。私には読めないので、栞の挟まったところを開いたまま、彼らに手渡してみることにした。

 

 彼らは滲んでいる。私が揺れている。いや、頭が重い。変な音が響いた。目の前が塞がった。

 目の前が真っ黒。違う、真っ白。

私はどうしてしまったのだろう。

 

 

 

 気がつくと、私はベッドに寝かされていた。椅子に座っている男の子は眠そうで、頭をゆらゆら揺らしている。奥に居た二人の男の人は、起き上がった私をみて、安心したような表情を浮かべた。

 椅子に座って舟を漕ぐ一人は、私と歳が近そうだ。けれど、実質、男の人が三人もいる場所に一人で居る私は不用心ではないのか。少し怖くなってしまった私が、彼らを怪訝な目で見ていていると、一人がそれに気付いたようだ。眼鏡をかけていて一番物腰が柔らかそうな人が「体調はいかがですか」と声を掛けてきた。

 三度目だけれどと言いながら、彼らは自己紹介をしてくれた。ついでに、私がベッドに居たいきさつまで丁寧に話してくれた。

 彼らが言うにはこうだ。あるトラブルに巻き込まれた彼らは、一旦出直そうとして三人の中でその場から一番近いヘンリクという人の家に行こうとしていた。その途中で私を見つけ、怪我をしていると気付く。適切な手当てが必要だと彼らは私を家に招いた。私の目と、リニュスという男の子の手当てを終え、彼らはいくつか私に質問をしていたという。エトワルトという人と話していた途中で、様子がおかしくなった私はそのまま意識を失い倒れてしまったらしい。私が倒れた音に驚いて目を覚ましたリニュスとベッドを交代して、私はベッドに寝かされ、リニュスは私が目を覚ましたら二人に知らせる係に任命されたということだった。

 彼らの言うように、外を歩いていた時、彼らに声を掛けられてこの家に来たことは分かっていた。それは私も覚えていることだ。私がなんとなく手当てをしていた怪我の手当てもしてくれたらしいというのも分かった。怪我をした方の目に触れようとすると、そこには手触りのいいガーゼが当ててある。ベッドに寝かされていたけれど、服は別に乱れていないし、何か変なことをされたといったことも無いようだ。ここに着いた後の出来事から今に至るまで、何故か記憶が曖昧になっている。今はとりあえず、彼らのいうことを信じてみることにする。

 そうだとしても、だ。覚えていないことを怪しむのは、忘れてはいけないことだと思う。自己紹介が三度目なのは覚えていない。わざわざ三度もし直した彼らも変わっているが、私の記憶がないことは奇異だ。本当にそんなことがあるのだろうか。

 

「これ、返すよ。大切な手帳なんだろう? ありがとう。君はオレ達にこれを渡してから倒れてしまったんだ」

「人の日記や手帳を勝手に読むのはいけないことだと思うのですが、ページを開いて渡されたので……すみません。少し、というよりも、気になるところを読ませてもらいました」

「読ませて、よりも、読んでしまった、という感じなんだ。女の子の日記を勝手に読んでしまって悪かった。許してほしい」

 

 私はエトワルトから手帳を受け取った。

 手帳が読まれるくらいのこと、私にとってどうってことはない。

 

「君のことは少しわかった。だが分からないこともある。さっきまで君に聞いていたことだったんだが、聞きたかったことは手帳に書いてあった。あの影に襲われたのが一度目なのに、視力のみではなく、言葉通り目を奪われたそうだな。でもそれは、奇妙なことだと思うんだ」

 

 私が何も答えないでいると、エトワルトはそのまま続けた。

 

「君は、あの化物を追っているんだろう。オレ達もそうなんだ。そこにいるリニュス以外、オレ達二人はあの影の化け物に目を奪われた。リニュスは目を奪われたわけではないが、被害者であるには変わらない」

 

 さっきまで眠そうにしていたあの男の子は、頷きながら会話に参加している。彼が膝の上で握りしめている拳は、恐怖に震えているのを隠しているように見えた。さっきまで調子が良さそうに言葉を並べていた彼が言いよどんだ。彼の名前はエトワルトだっただろうか。包帯姿が痛々しい。彼の代わりに、ヘンリクと名乗っていた人が代わりに口を開く。

 

「知っていることを何でもいい、教えてください。僕たちの知り得たこと、推測も伝えましょう。本当は誰かを巻き込むのは残酷だと思うのです。それはわかっています。でも、現状では君にしか頼めない。だから、リリヤさん。僕たちに協力してはもらえませんか?」

 

 彼ら二人から見れば、私はまだ小さな子供なのだろう。

 私は、今の彼らの話で、エトワルトが最初に言った「あの影の化け物を追っている」という言葉の時点で、「私に協力してほしい」のだと言おうと思っていた。けれど、私の目的に知らない人を巻き込むわけにはいかない。だからそんなことを言うなんてやめたほうがいいかもしれない。そう考えていたのに、どうやら彼らに先手を打たれてしまったらしい。

 この際順番などどうでも良い。私は目的を果たさないといけない。協力者は一人でも多い方が良い。先に会った彼女は、私に託すと言ってくれた。

 

「私も言おうと思っていたの。協力してほしいって。一つ考えていることがあるの。そのためには事情を知っている人手が必要だわ」

 

 私の話を、彼らは茶化さずに聞いてくれた。

リニュスとヘンリクには以前会ったことがあった。リニュスのことはあまり覚えていないけれど、ヘンリクのことは少し覚えている。あの時は名前なんて知らなかったが、ヘンリクは「アンニカ」という女の人の家を探していた。私が自分の手帳のほかに持っている手記は、彼女の遺したものだ。私が自分の目的に他者を巻き込みたくなかったこと、失踪者や犠牲者を増やしたくなかったことを伝え、その手記をヘンリクへ渡した。

 

 また彼らと会うことを約束して、私はその家を後にした。

 まさか日記を読まれるとは思わなかったが、前にも同じようなことがあった気がする。確かあの時は、私が落とした手帳を拾ってくれたけれど、魔が差して読んでしまったと言っていたっけ。私の手帳は他の人が読みたくなるような何かがあるのだろうか。手帳に記してあるのは、伝える練習がてら書いていた日記と、私がするべきことについて。日記はカモフラージュついでに書いていたファンシーなものと、読み返すと気が重くなるあの時のこと。そのほかには、私が「ヘイディ」の為にしたかったことを記しているだけなのに。

 私はあの女の子を思い出す。彼女は、銀色の髪をした小さな女の子だった。何だか浮かない表情をした儚い少女。ヘンリクが言うには、彼女は知り合いの女の子で、彼女もまたあの影に取り憑かれ、目を奪われた一人なのだという。

 あの三人と話してわかったことがある。デュハウントに目を奪われることで、何か特殊な能力が身につくことがあるらしい。もしかしたら、彼女も目を奪われた代わりに何かを得ているのかもしれない。

 そうと分かれば会うのみ。私は、スイと言う名のその少女を探すことにした。

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